『光と風の間(はざま)で』総本家

総本家なんで、あれこれあります

北風と太陽(増税異聞その2)

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 高齢者の方が、「なぜお金を置いておくか」。そんなことはわかりきったことです。国が信じられない(あるいは、あてにならないと思っている)からです。国どころか、子供をあてにしていない(もしくは、迷惑をかけたくない)という場合もあるでしょう。それなら、自分の身は自分で処すしかない。そういうことでしょう。

 たとえば、母のお友だちがいらしたときに、楽しい旅の話の合間にも、「今はまだこうやっていられるけど、この先身体の自由が利かないようになったら、施設に入りたい」というような話をされることがあります(わたしの周囲では、大体そういう考えのようです)。そのための費用を自分で確保したいという考えを持ってらっしゃる。だからこそ、使うお金を削ってでも(有り余っているわけでなくても)、なるべくお金を使わないようにして残しておこうとされてるんですよね。

 まして、東京や大阪、果ては海外まで、子供さんは遠くにいらして(もちろん、もともとお一人だったり、ご夫婦だけだったりということもありますが)、高齢で一人暮らし、二人暮らしだと、あてにしようにもできないという現実もあります。

 わたしの周囲でも、何度説得しても東京に来たがらなかった親御さんの闘病や葬儀のために、しばらくの間自宅のある東京とこちらを何往復もして、その往復のために100万円近くかかった…という話がありました。それどころか、どこで葬儀を行うかで揉め、おまけに、友引も重なったことで、親御さんの自宅(つまりは実家)と子供さんの自宅のあるところを、あっちでもないこっちでもないと遺体を積んで行き来した…なんて笑えない話も聞きました。そういうのを見聞きするにつけ、不安になって当たり前です。

 ところで、元々年金には?が付きまとっています。大体、この先いくら必要という金額を示すのに、どういう根拠を元にどういう計算がされているのか。かなりあやしいです。

 年金を納めていない人には支払う必要はないわけだし、「この先は、今の高齢者の方ほどの年齢までは生きられないだろう(食事や生活などの面から)。段階的に、平均年齢が下がることは確実」という医学的な見解がある中で、そういうことについては考慮に入れず、「今と同じくらいの平均年齢だった場合の全員に支払う前提」での年金必要額の計算は、(一部のどなたか達にとって)「都合のいい計算」としか思えないのは、わたしだけでしょうか。今度の原発問題からしても、政府の出す数字は信じられないと思えてしまうんですよね…。まっ、それはそれとして…。

 今の高齢者の方達は、戦争の前後にご苦労してこられた年代です(その頃に生まれた方も含めて)。金銭的にも、精神的にも、肉体的にも…。

 そういう方達に、さらなる金銭的なご苦労を掛けるなら、さらにお金を遣われなくなるでしょう(それからの生活に安心な内容が提示されない限り)。たまに出かける旅行にさえ、出かけようとされなくなるかもしれない。自分の食事の内容も質素にされるでしょう。少子高齢化といわれる今、それはもっともっと景気が冷え込むことにはつながりませんか? 

 もちろん、十分豊かな生活をしていらっしゃるかたもあるでしょう。でも、貯めている=余ったお金を持っている…と捉えるのは違うと思う。まして、「コレだけください」というなら、「それをいただけたら、こんな風にお世話します。お金のご心配は掛けません」と言える条件をまず提示するべきだと思うんです。それを準備せずに適当な数字を挙げるなら、「参考書買うから、とりあえず何千円ちょうだい」という子供達と変わりないじゃないですか…。あまりにも、アバウトすぎる…。そう思いました。だから、それに同調する人にも、がっかりしたんです。







(画像は、定年後の父が借りていた果樹園付近。これを抜けると、すこ~んとした空と手入れされた果樹園群が見えます)