再びめぐる本の旅

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 昨日の夜、コンパニオンプランツの本を取り出すべく本棚の前に立ち、『韓国の美をたどる旅』を手に取りました(何でじゃ…ーー;)。

得意の4色ボールペン登場!(これまでは、もったいなくて?線を引けなかったのだけど、思い切って…)机に戻って、その本をめくります。そして、その「はじめに」を読んで、思わず、「この人の文章って暗号みたい…」。

 いや。暗号というより、彼が常々感じている想いや願い、そして、何故これを書くに至ったかということ、さらに、そのスタンスまでが、見事に「ない交ぜ」になっているのに気がついたんです(前に読んだときにもそう思ったのかもしれないけど、それを忘れて再びそう思っているのかも…)。

 そして、「ああ。そうか…」と気づいたことがありました。 それは、私の中にあった違和感のことです。

 その本が出た頃、いろんな感想をネットで読むことができました。著者がどれくらい自分の国を愛しているかということに思い至り、それについて胸を熱くした人と、私と違う意味で違和感を感じた人、そんなことぜ~んぜん関係なく、その内容を興味深く読んだという人があったように思いました(大きくわけで、ですが…)。

 私は、それに胸を熱くする…ということは特にありませんでした。やり方や経験、そしてその書き方は違っても、私が「日本文化」について書いたら、同じ様なことになるだろうと感じたからです。人がその国に生を受け、そして、特に虐げられることなく育っていけば、もちろんその人その人で感情の持ち方や、育ち方、理解の仕方は違うでしょうが、その国に対して「その人なりの愛情や誇り」を持つのは当たり前だと思うからですです。

ただ、私にとってのそれは、「愛国心」とかいう漢字3文字で表される想いとは違います。自分の国を愛していても、「何だ、あれは」とあきれることもあるし、その3文字から感じられる緊張感と、あまり好まない熱を持った想いとは違う想いなんです。

 この本の中での、「僕の国には、こんなにすばらしい文化があったんだ」という、驚きや喜びや誇り…。それを知って欲しいという、真摯でちょっと勢い込んだようにも感じられる文章からは、その3文字の感じは受けませんでした。

 私の感じた違和感は、その後、彼が参加することになったあちらでの行事などについての、マスコミの言葉に対して感じたものでした。まるで、彼がその3文字の典型(象徴?)のように、そして、その国の文化を「知らしめる」的なことを言ったような書き方…。

 それは、一瞬の違和感ではあったのですが、今回、「はじめに」を読んで、はっと気づきました。再確認といっていいかも。

 彼のこの「はじめに」には、こうあります。これを書いたのは、自分を愛してくれる人たちに、「(こんな文化のある国なんですということを、自分の目で見て経験して、お話しするという)お返しをしたかった。美しくて素晴らしい文化を見つけて贈りたかった」と。そして、自国の文化、ひいてはアジアの素晴らしい文化に関心を持ってくれたら、「それ以上のやりがいはない」とも書いている。

 つまり、彼の中には、「自国の文化を知らしめる」とかいう「上から目線」はないし、その文化に、「美しくて素晴らしい」という修飾語をつけている(すべてのこととは言っていない)。そして、アジアのすばらしい文化に関心を持ってくれたらと…。ああ。必要箇所だけ読んでみると、何てわかりやすいんだろう…ーー;。

 「そういうことだ」と思いました。かの国のマスコミの論調は、事実よりも書き手自身の想いに重きを置いて書かれることが多く(時にはとっかかりだけがほんとで、後は記事というより論文になっていることも…)、取材さえちゃんとされていないこともある。その人の言葉といっても、事実そのとおりかどうかもわからない(言葉尻を取るとか、変えるとか)。それに一喜一憂することがどんなにばかばかしいことか、しっかりわかっていたはずなのに…。ちゃんとここを読んでれば(覚えていれば?)わかったはずなのに…。一瞬の違和感も感じなかったはずなのに…。

 改めて、さらにちょっとずつ読み進んでみようと思います。時を改めた今、新たに何を感じるか。楽しみになってきました。

 ところで、爪がやたらに2枚爪になって割れるんですけど、何とか丈夫にする方法はないでしょうか(何て終わりだ…ーー;)。