Message! to Asiaイベント(そのヨン)

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イベントに出演されたのは、音楽関係の方ばかりではなく、(歌ばかりではなく演技もされる方たちですが)。中田英寿さんとか、最近テレビでよく見る子役の女の子の朗読などもありましたし、昨年亡くなったパク・ヨンハさんがアフリカでされていたボランティア活動の映像もありました。痩せた子供を抱きしめるやさしい顔や、その動く姿を見ると切なさが胸を駆け巡ります。それと同時に、思い出したことがありました。

 彼が亡くなったあとすぐに、ヨンジュンさんがアメリカに渡ったときにたまたま目にしてしまった、ある種彼を誹謗する言葉。ヨンハさんが亡くなった後、自分のやりたことをのうのうとやれる、その神経が知れない的な言葉でした。そういう内容を見られた方は、私だけじゃなく、他にもいらっしゃるのではないでしょうか。

 蒸し返すのもどうかと思うけれど、その時には思ったことを書くだけの体力と気力がなかったので、今になって、ごまめの歯軋り程度の言葉を残しておこうと思います。

 国民性もあるかもしれないけど、そして個人差もあると思いますが、誰かを亡くしたとき、大勢の人がいる前で、大げさに嘆いてみたり、大泣きする方を見ると、私はいつも引いてしまいます。

 実際、そうしていた方が帰りに自分の知り合いの方に会われ、笑いながらその会葬のことをお話されていたのを見たこともありますし、自分の経験からすると、その人が近ければ近いだけ、あるいは、その人への想いが強ければ強いだけ、そのショックは大きく、そんな風にできるほどの余裕はないと思えるからです。泣けないほどのショックというのがあると思うからです。

 でも、世の中には、そうして見せる人がいい人で、たとえば、黙して去る人は薄情な人的な理不尽な見方があるように感じます。その後のことにしても同じ。たとえば、何事もなかったように生活してるからといって、その人のことを忘れているというわけではないし(そういう人もあるかもしれないけれど)、逆に、時がたって忘れたつもりでいても、それを乗り越えていないと気づかされることもある。そういう心の機微がわからないだけならまだしも、誰が見るかわからないネットで書くかぁ…と、そのときに思ったんですよね。人が人を思うのは、他の人には計り知れないはずなのに…。

 このイベントでは、ヨンジュンさんが未熟児の赤ちゃんの保育器を寄付した時の映像が流れました。その中で彼は、保育器の中の赤ちゃんに、「早く世界が見たかったんだよね」と話しかけていました。

 私の知り合いにもありますが、医療が進み、かなりのところまで大丈夫とわかっていても、早く生まざるを得なかった状況を悔いているお母さんはたくさんいらっしゃいますよね。「何で臨月まで持ちこたえられなかったんだろう」と自分を責める方もある。

 彼のその言葉は、赤ちゃんもだけれど、そのお母様に向けてでもあったのだろうと思います。そういう言葉が吐ける人が、常に一緒にではなかったとしても、ともに戦った同士とも言える人の死を、痛みも感じずにいるわけがないじゃないですか。

 とどのつまり、チャリティーというのは、もちろんお金のことではありますが、そういう「想い」をこそっと分け合うことじゃないかと思えたりもします。