『光と風の間(はざま)で』総本家

総本家なんで、あれこれあります

パワー・スポットかも(下の巻)

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 お参りの後はしばらく、狭い狭い境内に設えられた木の切り株のいすに座って、そこの気配を楽しむことにしました。幸いに暖かく、風もそうない。時間も十分にあるから急ぐこともない。のんびりするのには、十分な時間がありました。

 同じようにそこに座って、そっと目を閉じている40代くらいの女性の姿が隣にありました。東京に来る前に、「女性ばかりで気恥ずかしいけど、あそこにしばらくいると、す~っと気が楽になるんで、営業の途中によく立ち寄る」という男の人の記事も読みました。もしかしたら、本来ここはそういう人たちが時を過ごすのにいいところなのかもしれません。

 そんなことを思っている間も、いろんな世代の女性達ばかりでなく、ご夫婦らしき80代くらいの方や、出張か何かで来てらっしゃるのかな~という男性、修学旅行生などで、お参りの列はずっと続いています。おみくじを手に、きゃっきゃきゃっきゃはしゃぐ声も聞こえるのですが、不思議にいやな感じがしません。

 そのときになって、気がついたことがありました。その空気感は、拝殿の前で順番を待っているときに、出雲大社のとは違うな~と思っただけで終わっていたんです。あれほどに背筋の伸びる気持ちよさはありませんでした。ところが、出雲大社では感じない感覚が、ここにはあることに気がついたんです。

 辺りを見ていて気がついたのですが、「屋根がない」という感じがするんです。もちろん建物には屋根はありますよ。そういう意味ではなくて、その境内の敷地にそって高い透明な壁があり、その中は筒みたいにすと~んと上につながっている…。そういう感じがするんです。

 「へ~っ」と、改めて空を見上げました。「やっぱり、ない…。まっすぐ上だ(と感じる)」。もしかしたら、この狭さゆえにそう感じるのかなとも思いましたが、そのあたりは私にはわかりません。それに、たぶん人それぞれで感じ方は違うと思うので、あくまでも私はそう感じた、ということなんですけどね…。

 そこでまた面白い物を発見。雲が二重になっているんです。いや。そういうときもあるのでしょうが、風もそうないなか、「あれまっ」と思いました。上の雲と下の雲が、それぞれに違う速度で流れているんです(もしかしたら、逆に流れているのかと思ったほど、流れが違う)。空好きの私にも、はじめてみる光景でした。我が家のあたりより、空気がきれいというわけでもないだろうと思う東京で、こういうものが見えるとは思いもしませんでした。あまりに珍しくて、しばらくそれを眺めていたんです。

 拝殿の上には、ちょこなんと鳩が…。ずっとそこにいましたね~。「野良猫でも、いやな気のする家には入り込まない」と聞いたことがありましたから、少なくとも鳩君には安らげる場所なのでしょう。お参りする人たちを先端で見下ろし、神様の代わりに「はいはい。わかりましたよ」とでも言うように、時々こっくりうなずいているようなしぐさをしているようだったのが、おかしくもあり、かわいくもあり…。案外あそこの主なのかもしれません…。

 東京大神宮。結局私には、特に気が楽になったとか、大きな力を得た…とかいう感じはしなかったけれど、いい時間をすごさせてもらったことは間違いありません。守られているような、感覚の中で…。いや。それから、もう一度仕切りなおし、違う件(笑)で拝殿にお参りしてそこを後にしたのですが、それから、あの「羽田空港大疾走」をやらかしたわけですから、守ってもらってないな~ーー;。