『光と風の間(はざま)で』総本家

総本家なんで、あれこれあります

愛称をえるということ(改題&少し手直し)

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 昨日、友達3人でとランチをしました。それぞれの仕事や家族の状況など(この時期は無理とか、夜はだめとか)いろんな事が折り合わず、会おうという話をしてから数ヶ月ぶり。ようやくの実施です。 

 お料理はおいしかったし、いろんな話で盛り上がりました。当然、家族の話や、会おうと思えばすぐにでも会えていた頃の話も出てきたのですが、いまだシングルで、正直な話、過去の同級生のあの人が若はげしていようが、どうなっていようが、どうでもいいや~という部分のある私は、そのあたりではずっと聞き役でしたけど…^^;。

 そんな中で、こんな話が出てきました。以前、ここでにたようなことを書いたことがあるようにも思うのですが…。

 S○APの木村君の話です。「キム○ク」って愛称は、年代関係なく浸透して誰でも知ってる、常にトップを走り続けてきた男。それでも、たとえば40歳の声も近い今と10代20代の頃とでは、体力も気力も違うだろう。若い勢いのある子達も出てくる。

 たとえば踊るとすれば、まえと同じ振りのままだと結構きついかもしれないし、芝居だって、どんなにうまく演じても、若手のきれいな子(共演していた水嶋○ロ君の名前が出てきてましたけど)と並ぶと、キラキラパワーでは負けてしまう(「顔が老いた」とさえいったやつもおりました…ーー;)。

 年より若く見えるとか、演技がうまくなった…とかいうことでは、多くの人は満足しない。みんなは若くキラキラしていた時の彼をずっと忘れないし、常にそれと現在を比較して見てしまうから。

 負けず嫌いそうだし、彼はそれとも戦っているのだろう。20年以上トップでいることさえ大変だというのに。「そんな事々とも戦わなきゃいけないなんて、大変だよ。よくやってるよ~。重いと思うわ、キムタ○って名前…」。それが結論でした。

 たくさんの人に愛されきた、という事実。期せずして愛称を授かってしまった、ということの重さ。その話の合間合間に、私は別の人の姿を重ね合わせてました。