『光と風の間(はざま)で』総本家

総本家なんで、あれこれあります

若桜鉄道

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 うちの母が、以前から一度行ってみたいと言い続けていた場所があります。すんごくローカルな場所なのですが、鳥取県東部の「若桜(わかさ)」という場所なんです。金曜の夜、ひょんなことからその若桜に「明日行ってみよう」という話になりました。

 ここには、鉄道を使うと、以前JR山陰線の一部だった(赤字続きで廃線になった)若桜鉄道という私鉄で行くことになります。この終点の若桜は今、すでに引退したSLをいらした方自身が動かしたり出来るイベントが行われたりすることから、鉄道ファンの方に話題になっているんだそうです。

 母は「とにかく(その)若桜鉄道に乗りたい」というんです。で、一部山陰線と重なる部分のある、始発の鳥取駅から列車に乗ることにしました。列車…というか、なんと1両だけの車両なんです!(その名もなんと桜ヨン号!…^^)。

 ゴトゴト揺られて40分あまり。若桜駅に到着です。観光客らしき方2人と、こちらの方かなと思える方たち数人と駅に降り立つと、駅舎はえらくがらんとしています(当日イベントは行われていない感じだったので、ふだんはこんなものなのかもしれませんね)。ベンチには、(写真の)二人の常駐のお客さんと駅員さんがいるだけでした。

 実は、この時にわかったことがあります。母がここに来たかった理由です。何と! 若桜鉄道に乗って、終着駅まで来てみたかっただけ(!)だというんです。鳥取駅のアナウンスでその名前を聞き、そしてその車両を見るたびに、「どんなところなんだろう。そこまでにどんな風景が見えるんだろう」と思い続けていた。そのためだったというんです。だから、どこに行きたいとかぜ~んぜん考えてないんですって。

 つまり、「あ~。はじめて見る風景。初めて降りた駅だわ」って辺りで、母はもう満足してたんですね。で、「次の上りで鳥取に帰って買い物を」とか言い出す始末(何でじゃ。今日は若桜探訪じゃなかったのかい…ーー;)。

 それでも、幸いなことに(?)次の上りが発車するまで1時間ほどありました。で、その辺りを少し歩いてみることに(私のせめてもの抵抗です^^;)。歩きなので、遠くまで行くことはきあきらめて、駅のごく近くをぶらぶら歩きます。

 若桜は昔宿場町だった所だ…というのは、それでも知っていました。母の実家のある智頭という所も宿場町だった所なので、それと同じ様な雰囲気なのかなと思っていたら、もうひとつひなびた感じの穏やかな町でした。ほとんど観光客の方に会うこともなく、車にもその間2~3台行き会ったくらい(いや。ほんとに…^^;)。

 家々と道の間には、用水路。周りが静かなので、さやさやと流れる水の音がほんとに気持ちよく聞こえます。あっちこっちをさまよっていたら、蔵が連なった通りに出ました(あとで「蔵通り」と表示されていた通りだと判明)。最近補修されたのか、以前からのものなのか、それぞれの蔵には漆喰の窓飾りや入り口の飾りなど、見事な細工もされています。

 さらにその道を進んだ所には、それそれ広い敷地を持つお寺が並んでいて、その途中で行き会って挨拶させてもらった90歳だというおば様が、ここは「寺通り」だと話してくださいました。「いいところですね。住みたいわ~」という母に、「ありがとね~」って、笑顔がとってもかわいかった。

 そんなこんなしているうちに、時間が迫ってきたので駅に戻ります。切符を買ったら、レトロな切符にパチンとはさみを入れて渡してくださいました。「なんかいいな、こういうの」。そんなことを思っていたら、さっきのおば様に行ったのと同じ言葉を母が駅員の方に言ったんです。駅員さんは途端に複雑な顔をされました。

 「今の時期まではね…。ここは雪の多い所だから、ほんと…色々大変なんですよ」

 実は、もう誰もいらっしゃらないのかな、と思える家を何軒か見ていました。寺通りにあった大きなお屋敷もそうでした。立派なモミジの木など、たくさん庭木のある広い庭も茂り放題で、人が住んでらっしゃる気配がなかったんです。生活の不便さ故の影響というのは、駅の近くでさえもあるのかもしれません。いい時期に来た私達には、とてもいい町に思えたんですけどね。

 穏やかな町の空気と淋しい現実。そんなことを思いつつも、短い旅人は、地名にあるように桜の時期がいいらしいここに、その頃また戻ってこられたらなと思いながら改札口をくぐったのでした。