今年の4月から、「ゲゲゲの女房」を見ています。最初は母に付き合って、だったのですが、この頃では結構自分の楽しみになっていて…^^;。
もちろんご夫婦役の役者さんたちや、ストーリーのよさが一番ですが、私が見続けられたひとつの理由には、方言がよく消化されている、ということがあるかもしれません。こちら出身の水木しげる先生ご夫婦が主人公ですから、こちらの方言がたくさん出てくるのですが、ちゃんとそれ風(厳密に言えば違います。安来と境港の言葉も同じではないですし)になっているので、ストーリーに入り込めるんですね。
どうしても言葉に敏感になってしまうので、こちらを舞台にした作品での、あまりのイントネーションのひどさに引いてしまって、ストーリーどころではないというか、これまでは恥ずかしくて見ていられなかったんです。
ちょっと寄り道をしますが、このドラマ、このところのNHKの朝のドラマとしてはかなりの視聴率だそうです。そのヒットの理由として、「主人公の女性に、自ら身を立てていこうとしたりしないしない、自立心のなさがよかったのではないか」などという、評論家(男性)の意見があってひっくり返りました。自立心がないから受けるという、その理由も理由ですが、夫をサポートして支えて行くのが、自立心がないことになるなんて私には思えない。そうしていこうと思うこと自体が、彼女の自立心じゃないかと思うんですけど…。どう思います?
さて、寄り道はコレくらいにして…(だったら、聞くなって?…^^;)、その「ゲゲゲの女房」の今日の回の、こんな言葉がありました。
『魂がこもっていないと、宝物とはいえんからなぁ』。
しげ~さん(水木先生)の言葉です。どうしてその言葉に、心がとまったか。実は、昨日こんな文を読んだからなんです。
『高いもの、値打ちのあるものを持ち、使うことを贅沢というのではありません。触りも使いもしない、心のないものを置いておく。それこそが贅沢なのです』(この場合の「贅沢」は、悪い意味ですね)。
その二つの言葉が、一つにかさなりました。宝物は、贅沢品ではないってことですね^^。あなたは、どれくらい宝物をもっていますか?
画像は、気にかけて水をやっていたのに、葉が枯れてしまって、がっかりしていたどうだんつつじの苗。どういうわけか、芽が出てきています。季節を間違えてしまったんでしょうか…^^;。