『光と風の間(はざま)で』総本家

総本家なんで、あれこれあります

呼吸

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 京都で思いがけずばったり出会った神社の話や、二日目に出かけた神社のことを続けて書こうと思っていたのですが、お医者様でエッセイストの、徳永進先生の講演会を聞いてきたので、ちょっとそちらに寄り道です。

 この先生は、鳥取市内で緩和ケア病棟を含め、診療所をやっていらっしゃる先生なんです。その病棟でのあれこれは、何冊もの著書にしたためられているのですが、うちの母はそのエッセイのファンなんですね。いえ、母ばかりではなく、私も我が家にあるうちの何冊かを読んでいて、とても気に入っているので、父がお世話になっていた緩和ケア病棟の主催で先生の講演会があるというお知らせをいただき、母と、やはり先生のエッセイのファンであるお友達との3人で、いそいそ出かけきた…というわけです。

 先生の本の中には、この先生の、患者さんやその家族、それから死に対する視線が、ざっくばらんに語られているのですが、いや。これが面白いんです。そして、とってもあったかいんですね。講演会は、そんな文章から感じていた先生の人柄を感じさせる(というより、「何だかな~。思ってた以上だよ~(爆)」という感じの)ものでした。

 その中に、こんな話がありました。

 人の死は、「はい。では今日の何時何分」などと予定することはできないものですよね。その人の生命力などが左右する、いわば、「その人時間」(hikari命名)で決まるもの。そばに控えている人たちも、その時を待つうちに、だんだん疲れ、だれてくる。そして、つまらないことで言い争ったりすることも起こってくるんですよね。

 「身内の死に向かい合ったからといって、ええ子になりなさんなよ。仲が悪ければ悪いなりに…。それでいい。次に生まれてきたときに、苦労しますで」と前置きして、話は続きます。

 その様子を見て、先生は考えた。で、控えているご家族に宿題を出したんです。「実は私は、今下顎呼吸の研究をしている(まっかな嘘)。だから、是非協力してほしい。おじいさんの最後の息は、呼気(吐く息)か吸気(吸う息)か見てといてほしい」と頼まれたんですって。

 下顎呼吸というのは、人が亡くなるのが近くなったときに、下顎だけを動かしてし始める呼吸のことです。その話を受けてご親族は、「お世話になっている先生のために」と、おじいさんの一息一息に、今か今かと真剣に向かい合うようになります。

 そして、最期の時を迎えてのご親族の最初の言葉は、「先生。呼気です!」。「ええ。呼気でした」。「そうそう。呼気」(考えようによっては、「おじいさんのことじゃないんかい。なんちゅう団体だ」といわれるかも…^^;)。

 いくつかのご家族にこの手を使われたようなのですが、やはりそのすべては「呼気」だったそうです。となると、です。先生の興味は、「じゃあ、生まれるときは?」。早速産科の先生に聞いてみると、「吸気だよ」ということだったそうです。産道を通るときの窮屈さから、そうなるという説を唱える方もあるそうですが、実際は違い、帝王切開でもやはり、吸気で始まるのだそうです。

 つまり、人間はどういう生まれ方をしようと、空気を吸ってこの世の生活を始め、吐いて終わるということなんですね。ああ、なんと…と思ったお話でした。

 それに関連して、某総合病院の勤務医時代。同僚とこんなことを話したことがあったそうです。その下顎呼吸の後の話です。「患者さんのご最期をなんと言って伝えるか」。

 「ご臨終です」。ありそうですよね。「何時何分、お亡くなりになりました」。これもあります。中には、「何時何分、申し訳ありません!」と頭を下げる(多分自分の力不足ですということだろう、ということです)」という方もあったそうです。

 先生にはこんなことがあったそうです。ある患者さんがキリスト教の信仰を持っていらっしゃる方だと知っていたので、「お父様は天に召されましたよ」と、先生いわく「気を利かせて」言ったら、「先生。うちの信仰では、地に帰るんです」と冷静に言葉を返されて、「ありゃ。逆に送っちまったか~」。

 そんな話のあと、最初の二つと同様に、ありがちと思える「息をお引き取りになりました」という言葉についての話を続けられたんですね。

 「息をお引取りになりました」という意味は、「多分皆さんが思われているのとは違う」と先生は言われます。先ほどの呼気吸気の話であったように、人の人生は呼気で終わるが、その最期の息を、親族でなくても、周りで看取った人たちがある意味で「吸う」。だから、「故人の息を皆さんがお引き取りになりました」ということ。つまり、「亡くなった方の最期の息(想い)は、あなた方に引き継がれたんですよ」ということだとおっしゃるんです。看取った人も、いつかはあちらに行くわけで、今度はまたそこにいる誰かに続いていく。そうしてわれわれは永遠に続いていくんだ、と…。死んで終わりじゃないんだよ…ってことですね。

 「いや~。ええタイトルですね~」。先生、その永遠を使ったタイトルに自画自賛…(おいおい…^^;)。

 呼気と吸気…。笑い話のひとつのように使われたお話が、こんな話につながろうとは思いもしませんでした。恐るべし。徳永先生…。

 全然関係ないんだけど、記事をここまで書いてから決めてタイトルを入れたら、ふっとそのタイトルの曲を思い出しました。「いや~。ええ曲でしたよね~」




(画像は、鳥取駅駅南にある大国主命像)