『光と風の間(はざま)で』総本家

総本家なんで、あれこれあります

人が人を思うとき

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 誰の人生にも意味のないことなんて起こらないという言葉を、10日ほどまえに書きました。その自分の言葉を恨めしく思うような出来事が、かの国で起こりました。それには、どういう意味があるの?と、自分に聞きたくなります。

 実は、やっと「韓国の美をたどる旅」を通して読み進めたので、かなり後半になった今、感じたことを少しずつ書いていこうかなと思っていたのですが、へこみました。さらに、気になって見たあちこちのいくつかのコメントには、恐ろしいほどうがった意見もあってさらに…ーー;。

 性格もあるのかもしれませんが、私は大声で「正論もどき」をぶつ人を信じません。人が落ち込んでいるときに、それ見たことか的な発言をする人も…。というか、そういう人が、つねに、その人の言う「正しい行動」をとっているとは思えないんです。

 よく有名人の行動をあげつらう記事がありまよね。それでも人間か…的に「正義」を振りかざす。もちろん犯罪などは別ですが、そういうのを見ると、思わず、「じゃ、あなたはどうなの?」と聞きたくなるんです。「タバコのポイ捨てのひとつもしたことないの? 信号無視もしない?」って…。

 少し前の「麻○おろし」の時のマスコミも、それと似たようなものでした。「あんな高いところでお酒を飲んでいる」と、まるでしてはいけないことをしているかのように言う。不正なお金ならともかく、自分の飲みたいところで飲みたいお酒を飲んで、自分のお金を払って、どこが悪いんだろう??? 誰だってそうでしょう? 時には、背伸びしたところで、食事したり飲んだり…、なんてことだってするだろうし。今の○沢さんの問題などとは別次元の話なのに、それを指摘することが正しいというような流れがあの頃のテレビや新聞ではありました。私はそれがとても怖かったんですね。みんなで組めば、どんなことでも正しいことになるのか。人一人はめることなんてわけないなって思えた…。

 話がえらくずれましたが、金曜のアクシデントに話を戻すと、人が人を思うときに起こってしまったアクシデントを、そんな風に言える人が、信じられないを通り越して、私には哀しく、そして、恐ろしく思えたんです。

とてもショックで残念すぎる出来事が起きてしまったことは、認めるしかない。あとは、関係者が誠心誠意尽くして償って行くでしょう。願わくば、かかわった方たちの心と体の傷が、一日も早く癒え、そして、このショックと哀しみを超える喜びや幸せに転じていきますようにー。