『光と風の間(はざま)で』総本家

総本家なんで、あれこれあります

オットケ・ソウル(hikari的初めてのソウル旅)After

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 ここまでのこの旅の文章を読み返し、少し手を入れたりしながら、思ったことがあります。ソウルを旅していちばん残念だったこと。それは「言葉」ができないことでした。一人で動けば動くほど、それを感じました。

 日本にいる時、私はいつも言葉を添えます。たとえば、駅なら、「おはようございます。お願いします」って言って切符を出すとか、「お世話になりました」って言って飛行機を降りるとか、お店でも、何かをしてもらったら、「ありがとう(こうこうしてもらって)ほんとに助かりました」とかいう簡単なことではあるのですが、それが私の精一杯のお礼の気持ちなんですね。それができて、やっと私なんです。

 ところが、ソウルではそれができなかった。「ありがとう」の一言がやっと…。あの駅のおじさんにだって、韓国語がしゃべれたら、もっとちゃんと御礼が言えたのに…。お礼の気持ちが言えない。それがつらかった…。

 人と人をつなぐもの。もちろんそれは心だけれど、心と心で会話できる相手は別として、やっぱり言葉の比重は重いですよね。

 帰りの空港で、ガイドさんと話をしたってこの前書きました。その中で私は、「電車や街の中のあれこれの、いろんな違いや、逆におんなじことがわかって面白かったけど、今回はそこで終わってしまった」なんて話をしたんですね。ガイドさんは、「それでいいですよ。今度来たら、また違うものが見える。で、また次は違うこと…。そうやってちゃんとわかっていくんです…」なんて話してくれてたんですけど…。

 その時にね、話に直接関係ないことにふっと気がついたんです。私は圧倒的な優位に立っているって…。私は自分の母国語で話しているわけで、何の気遣いもせずに、堪能であってもあくまでも外国語として日本語を理解し、話している彼に、日本人だからこそわかる表現をしてしまっているかもしれない。だとしたら、想いは伝わっているだろうか…。

 ほんとうに心をつなぐには、お互いが同等の立場でなきゃ…。お互いが母国語で語り合い、理解することができたらベストだけれど、それはなかなかできないこと。それならせめて、多少なりとも相手の言葉を理解できるようになりたい。まずは、お礼の気持ちくらいちゃんと言えるようになろう。たとえネイティブの人からしたら、子供みたいでも…。そんなことを思い、これまでの言葉のお勉強のいい加減さを深く反省。ちゃんと勉強しなおそうと心を新たにしたんです。

 話は少し変わりますが、空港で時間を待っているとき、観光局(?)の方にアンケートを頼まれました。アンケート用紙に書かれていたのは、韓国に来るのは何回目ですか?とか、団体か個人ですか、とか、これからどういうところに行ってみたいかとか、そうそう。年間収入は?とかいうのまでありました…^^;。

 一応それを書いた後、アンケート用紙を取りに来てくれたのですが、20代かな30代かなって感じの観光局の女性の方が、「ありがとうございました。これ、少しですがおみやげです」って、にっこり笑ってハングルがアレンジされた柄の紙に包まれたものをくれました。

 なんだかそれがとってもうれしかったんです。あんまりうれしくて、家に帰るまで包みを開けられませんでした。開けてみたら、毎日持ち歩きできるくらいの化粧ポーチ。たぶん安いものだと思います。でも、心を入れるものをいただいた。そんな気がしたんです。たぶん、彼女の笑顔と言葉のせいだったんじゃないかな。今度はこれに「ありがとう」を入れて、再び飛行機に乗ろう。そんな風に思っています。