待つのは辛い!!
一昨日、JRの車内に3時間以上閉じ込められるという経験をしました。閉じ込められる…というのは少し違うかな。そこで無理からにでも降りることもできたのけれど、そうしなかったわけですから…。ほとんどの人がおとなしく待っていたというだけで、みんなで閉じこもっていた…と行ったほうが正確かもしれません。約束の時間が迫っていて、「今しばらく」して何とかこれが動いてくれたら…と思う気持ちがあって動かずにいたのです(結局予定をずらしてもらいました…)。
信号の故障で、という説明はありましたが、ただただ「今しばらくお待ちください」とアナウンスされるばかり。3時間近くたつ頃には、「今しばらくってどれくらいよ!」、とめらめらと燃えかけるものを感じながらも、ずるずると待つことになったのです。
まだ通勤時間でもあったからか、老いも若きもそれぞれに、車内の人が一斉に携帯(電話)を握るという珍しい光景の中(そのうちに商談を始める人さえいた)、漏れ聞いたところによると、全部が一極管理されている為、信号一個の故障で、すべての運行が止まってしまうんだそうです。じゃ一時的にでも手動でやれば?と思うのですが、それも、信号を出す係、ポイントを動かす係、駅の途中で止まってしまっているので、その両側の駅にそれぞれ資格のあるエキスパートの方を配置して、4者間で電話連絡をしあいながら作業を進めることになる。それどころか、それぞれのエキスパートの方すべてが駅にいらっしゃるわけでもないから、それぞれの方を招集するところから始まる…という話。それじゃ、当然時間はかかりますがな…ーー;。
それにつけても感じたのは、いつまでという約束もなく待つことの大変さ、です。よくニュースで「台風のために新幹線が止まり、何時間か閉じ込められた」とかいうのを目にして、「大変だったのね~」なんて思ったりすることがあったのですが、あの「大変ね~」って想いは、まだほんとの大変さがわかってなかったんだな~と、今しみじみ思います。
それに、たいていそれとセットのように、「何の説明もなかった!」と火の様に怒る乗客の方の映像が映し出され、「そこまで怒らなくても…。ほかで色々大変だったのよ、きっと…」なんて思っていた気持ちも、あっさりと消え去りました。
それだけ待たされて降りてきた乗客だとわかっているはずなのに、着いた駅ではわずかな延着程度の謝罪のアナウンスがあっただけで、改札口で、「ありがとうございました」と平然と言われたときには、「幼稚園の子だって、ごめんなさいくらい言うぞ~!」と思わず心で叫びましたもの…。
待つ身は辛い…。待たせる身になった時、できればその時間をちゃんと知らせること。知らせることができない状態ならば、ごめんねって気持ちをちゃんと伝えなければ、と思えただけでも、収穫だと思わなくちゃね…^^;。
(画像の方も、ある意味いつ来るかわからないときを待つ人…でしたね)