父の日によせて(そのヨン…^^)

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 友達が帰りがけに、エレベーターの前で言った言葉。「精一杯、今を生きて。しっかりお父様を看てあげて。それがあなたの宝物になるから。必ずね…」。

 正直に言って、そんな風に思えることがあるだろうかと思いながら、不眠不休とは言わないけど、ほとんど眠れない時を10日あまりすごしました。

 緩和ケア病棟は、どれも個室ですし、有料個室に移ってからは、割と広いお風呂やトイレや洗面室ばかりではなく、家族が休むスペース、ちいさなキッチンもありますから、ほとんどホテル暮らしのような状態で、ずっとつめていた母と二人、仕事の時以外は父に寄り添う毎日。

 まるで母親を探す子供のように、辺りを見回し手を差し出す父の手を握り、足をさすり、話しかけ、時には3人で笑ったりもする…、今思えばとても穏やかな時間が過ぎていきました。そしてー。

 緩和ケアでは、その時をとても静かに普通に迎えます。「明日…だと思います。お父様の耳は、最後まで聞こえますからね。話したいこと、言ってあげたいこと…。何でもいいの。たくさん話してあげて」と前夜看護士さんに言われ、母と夜通し話しかけ、夜明けの光を見せてあげようとカーテンを引いたその時、父は逝きました。とても穏やかで、安らかに…。一度たりとも、苦しむことも、痛みにゆがむ顔を見せることもなく…。
 
 人は誰も、この世を去るとき、「ほとけ心」を起こすのだそうです。どんなに嫌な人でも、悪人でも、最後は善人になってこの世を去る…。父の場合、話せなくなる前の日に、私にかけてきた電話で、「今病院に行く途中。もうすぐ着くから、それから話そ」と私が言った時に、頑固で偏屈な父が、とてもうれしげに静かに言った、その言葉なのかもしれません。

 「ああ、そうか。ありがとう…」

 ありきたりの言葉です。でも、そのときには何故か特別な言葉に感じられました。そして、とても深く胸に沈みました。あの暖かな声を、私は生涯忘れないかもしれません。

 正直に言って、あの最期の時から今日まで、私は父を亡くした哀しさに浸ったことがありません。斎場に行く車の中で、人に見られないように(気づかれていたでしょうが)理由のわからない涙を流し続けただけ。まだ目の前のあれこれで精一杯だから…と言うこともあるでしょうね。もっと時間が必要なのかもしれません。

 実は内緒ですけど(ここでかい…^^;)、父が亡くなってから四十九日までの間に、私は2度父の声を聞いているんです。一度は、「自分の想いを信じろ」と、私の迷いをいさめる言葉。もう一回は、「お前に与えたものは、人でも物でも金でも、何でも利用しろ」と言う言葉です。父は私が仕事で父のコネを当てにしないことをとても不満がっていましたから、さもありなんという感じではありますが、空耳なのかもしれません。でも、何だか父の最後のお説教のように思えてね…^^。

 家族が大変な病気になった時、こんな風にさよならしなければならなくなった時、いろんなことがありますよね。そんな時ほど、人がよく見えるものなんですよね。そして、かけてもらった言葉も、とてもしみる。

 一生懸命つっぱっていたときの、友達のだんな様からのあの伝言が、とても心に残っています。「君は正しい。誰が何て言っても構うな。思うとおりに…」。何だか、これからのテーマのように思えます。迷うことが多いやつなので…^^;。それでも、今はただ、その友達のように、黙って疲れた人の手を握り、だんな様と同じように、迷う誰かにそんな言葉をかけてあげられる、そういう人になりたいと思うのです。

 長い話をしました。付き合ってくださって、ありがとう……。


(画像は、父に最後に見せようとした朝の風景です)