父の日に寄せて(その3)

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 転院して、病院に通院する為の時間は短くなりましたが、父の病気の進行。そして、叔父達との軋轢もあって、むしろその大変さは増していきました。余りにも理不尽と思うこともたくさんあって、嫁という立場から文句を言いにくい母に代わって、私が矢面に立つこともありました。


 正直、苦手なんですよね…。人とやりあうの…(誰も好きな人はいないか…^^;)。6月1日のイベントのことでも書きましたが、周りのそういうのが一番印象に残ってしまったくらいのヤツですから…(T.T)。そんな人間が、私よりずっと人生経験の豊富な、また歯止めの聞かなくなった「定年族」を相手にするのは、父のあれこれをするより負担だったんです。

 そんな状態がふた月ほどたったころ、父の様子が急変しました。肺炎を起こしたんです。先生から、あと数週間、あるいは数日というお話があり、こちらに帰って以来2度目の外出を予定していた日だっただけに、ショックでしたし、どうせだめなら帰してあげたいという気持にもなりましたが、看護士さんがこう言ってくださったんです。

 「連れて帰ってあげられるのは自由。でも、今日お宅で亡くなる事は十分に考えられる。私はあなたがお父様を連れて帰って、『私が殺した』と、一生思って生きていかれることが辛い…。そうさせたくはないの」と。

 そしてー。

 「連れて帰ってあげたい。その気持ちはわかる。それに、お父様が家に帰りたいとおっしゃっていたことも確か。でも、帰って何をしたいの?と聞いた時に、お父様は、家族と過ごしたいんだとおっしゃった。だったら、家族がいれば、ここが家になるんじゃないですか?」と続けられたんです。

 そのことばに、はっとしました。確かにそうだと思ったあと、思わず「冬のソナタ」のユジンの言葉を思い出してしまった…^^;。

 世の中で、緩和ケアを「何にもしないところ」だと思っている方があるようです。でも、それは間違いです。緩和ケアは、患者の痛み苦しみを取ると同時に、家族を癒すところでもある…ということを、私はその時知りました。

 家族がどう動き、どう言ったか…。親族の様子…。そういうことも十分把握し、性格までも見抜く…。そんな場所です。その通りです。もしあの時父を連れて帰り、もしものことがあったら、私は一生立ち直れなかったかもしれない。そう思います。どうも、それ見抜かれていたみたいですね…。

 その決断は、「もしだめでも連れて帰ってやるべきだ」という父の兄弟の怒りを買い、またひと騒ぎすることになってしまったんですけど、私たち家族は、そのまま病院にいることを選びました…。

 明日をも知れないという中で、母と二人で付き添ったその夜、飛んできてくれたのは、この病棟を紹介してくれた友達でした。心配して電話をくれた彼女に、このいきさつを話していたからです。彼女「ダンナを引き止めるのが大変だったのよ」と笑いました。

 「どうしても自分も行くんだって聞かなかったの。あなたに話してやるんだ、って…。迷惑だからって言ったら、『だったら、言っといてくれ。君は正しいって…。誰に何て言われても構うな。自分が正しいと思うようにしてあげろ。それでいいんだ。それが君のするべき親孝行だって』…」。

 その言葉に、堪えていたものが途切れました。あふれ出るものが堪えられない私の手を、彼女は1時間ほど握り、そして帰っていきました。