遠い想い出

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 昨日に続き、「わかる人向け」の記事です。

 ずいぶん前に、ニースのあるホテルで行われたパーティのラストで、日本のバイオリニスト(名前を言えば、たぶんご存知の方です)の方の、ソロの演奏を聞いたことがありました。パーティーの進行が余りスムーズでなく延び延びになって、ほんとに真夜中もいいとこでの登場。それも酒宴の席。名器にとっても、最低の環境ですよね。まして、旅は強行軍で、そこにいる人達はみんな疲れ果て、居眠りしている人さえいました。

 そんな環境の中で、「みなさんの子守唄に。夢の助けになりますように…」という、凛とした、それでいて暖かな言葉のあとで聞いた『G線上のアリア』。そうクラシックに詳しくない私でも、知っている曲です。いろいろなことがあった旅でしたが、帰りの車の窓から見た、穏やかなニースの夜の街角の光景とともに、今も心に残っています。案外忘れっぽい私にしては、珍しいことです。

 パーティーなんて縁のない生活をしていたので、必要がなければ行かない場所でした。大体ドレスアップなんてしたこともないですから、ほとんど初めての舞踏会に出掛けたシンデレラ状態。名前を呼ばれて立ち上がり、深く会釈をし、拍手をしていただいても、もう戸惑うばかりです(そんな風なのは、今も変わりないですけど)。そのできごとが、今も忘れられない素敵な思い出になったのは、あの一曲のおかげだと思います。

 本当は、心にかさぶたができるまで、その奥でそっとしておこうと思っていたのですが、そんな風にいい思い出にはならなくても、トラウマにならないように、思い切ってこに書いてすっきりしてしまおうと思うことがあります。6月1日のことです。実は、まだ今は思い出すのも辛い…という感じなんです。少しは回復してきましたが、画像を見るのさえ辛い…というか。

 私はアリーナの真ん中辺りにいました。双眼鏡を手にしてみると、ステージの遠さがはっきりとわかりました。たぶん、同じような感じを受けられたのでしょう。後ろのほうから不満の声がちらほら。これでは、天の岩戸を隙間から覗き込むようだ、という声も。私もそう思いました。
 でもそれは、もともとあきらめていました。もっと遠い方だってあるんだし、贅沢はいえません。ただ、スクリーンには一瞬「これだけ? この映り?」と思いました(映りは、特に真ん中の)。さいたまのときは、もっと後ろだった。でも、スクリーンは十分だと思えたのに(あくまでも、私の受けた感じですが)。

 それでも、王や四神やキハさんとの出会いとともに、楽しみにしていたものがありました。あれだけの規模のオケの演奏です。ところが、それを聞いて持った感想は、あれだけの規模のオケを、それも相当の実力のオケを使ってこれか…でした。ドームだから、音響の問題は仕方ないという方もあるかもしれない。でも、それならそういう場所で、ステージをあんなに奥にしてまで、あれだけの規模でオケを準備する必要があったのかな~。そう聞きたくなります。

 いくつか言いたいことはあるものの、みなさまのお話はそれなりに楽しみました。でも、これはたぶん座っていた場所によって違うのでしょうが、ステージカー(?)での展開は、まさに悲惨でした。それがステージと同じくらい遠く感じるこの場所で、不満の叫び声が上がり、前で立つ人には容赦ない怒号がぶつけられ、「座りなさい! 人が見えなくて迷惑してるのがわからないの?!」と叫び続けていたその人達も、気がついたらいつの間にか立って叫んでいるんですね。

 「立っても見えるわけない。スクリーンを見てよう」と思っていると、前の人達も皆さん立ってらっしゃるから、スクリーンも上半分しか見えないんです。遠い歓声と、近くの怒号と叫び声。そして、その状態で其処にいる時間は、とんでもなく長く感じられました。そのときの私の心のむき…にも問題があったのかもしれないんですけど…。

 ところで、「おいてきぼり感」のある、ステージカーが離れている場所にいる人達は、車が移動している間、何を楽しめばいいんでしょうね。立つ人の後ろ姿ですか? 遠い場所の歓声ですか? 上半分だけ見えるスクリーンですか? 
 こういうときこそ、音楽じゃないのかな。生オケでなくていいから。流れていてもいなくてもいいようなBGM(ごめんなさい!)じゃなく、あのドラマには素敵な曲がたくさんある。それを流しつつ、スクリーンの両端でそのステージカーの様子を流し、真ん中では素敵なシーンを。そういう配慮はできなかったのかな…。そういうのがあれば、あそこまで殺気立った光景じゃなかったのでは、と、望みすぎかもしれないけど、そんなことを思います。

 これはもちろん、「王」には何だ問題のない話です。そして、もしかしたら、スタッフ(思わず、「すたっふ~! すたっふ~!(あえて平かな)」を思い出しました…^^;)がこういう場所でのステージ・パフォーマンスに慣れていなかったせいがあるかもしれない。けど、今現在の私には、終世思い出したくない光景のひとつです。こういう淋しさ…というより、哀しさを持ったことを一度全部吐き出して、この想いにさよならしようと思います。

 「王」から、アジアの家族を一同にという話がありましたね。実は、その言葉で、できかけたかさぶたから血が噴き出したんです。同じことが、そこでも繰り返されるんでしょうか。

 公式ではなく、ここは自分の部屋なので、思い切り愚痴っちゃいました。2~3日したら、さっさと書庫にしまいますね。でも、遠い思い出の、あの「G線上のアリア」に変わる何があったら、私はこの6月1日を素敵な思い出にできたのかもしれません。少なくとも、さいたまのときは、まだうまく説明できない「それ」があったように思えます。



[追記]
ふっとひらめきました。2つのイベントの違い。「参加した」のと「見せられた」の違い。そして、「絆」を強く感じられたか、感じられなかったか…なのかな。もちろん、個人的な感覚ですが…。 それだけさいたまの経験が、私にとって素晴らしかったということなのかもしれません。