『光と風の間(はざま)で』総本家

総本家なんで、あれこれあります

故郷

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 ここ数日、「メイド・イン・鳥取」の話題をテレビでたて続けに見ました。もちろん、地元だから…なのですが…^^;。

 一つ目は、鳥取県西部の米子市にある自衛隊の駐屯地の航空機に、水木しげる先生の地元だからか、「鬼太郎」の図柄がプリントされて、日本の各地に舞い降りることになった…という話題。民間の航空機とか、フェリーとか、列車とかいうのなら特に驚きもしなかったのですが、自衛隊がね~って、ちょっと驚いたんです。こういうの、ほかでもあるんでしょうか。

 続いての話題は、今上映中の「明日への遺言」という映画で、藤田まことがさんが演じてらっしゃる前田資(たすく?)中将という方が、鳥取の方だったという内容でした。私は映画を見ていないので、第二次大戦の戦犯として、部下を犠牲にすることなく、自分だけで罪を背負って逝かれた方だという程度の理解しかしていないのですが、その方が鳥取の方だというのに、これまたへ~~だったんです。

 テレビで流されていたその映画の一部分で、「ふるさと」という歌が歌われていました。前田中将がお風呂で歌い、部下達がそれに続いて大合唱になるというシーンです。「うさぎお~いし、かの山~」って、あれ。実はこの歌の作者の岡野貞一(ていいち)という方も、鳥取の方なんです。

 この方、「ふるさと」、そして、「春が来た」、「春の小川」、「朧月夜」、「紅葉」、など、みんな一度は歌ったことのある歌の作曲者で、この方についての特別展示会が、鳥取であるというのが三つ目の話題でした。

 実は、何年か前に、同じような展示会に出掛けたことがあったんです。鳥取の士族の家に生まれ、貧しさから、姉の嫁ぎ先である岡山の教会(そのためか、この方の曲には、賛美歌の影響が見られるという方もあるそうです)に身を寄せ、苦学して音楽を学び、今の東京音大で教えるまでになった方で、やがて、作詞の高野辰之さんとともに、「文部省唱歌」として人々が歌い継ぐ数々の歌を作るに至った、という経歴をその時に読んだのですが、ちょうどその後出掛けた図書館で、偶然この方についての本を見つけたんですね。

 手に取ったその本の中に、興味を惹かれる話がありました。岡野貞一は、鳥取を後にしてから亡くなるまで、ただ一度しか帰郷しなかった…というんです。時代は、武士の時代から明治に移り、生活はかなり厳しかったようだし、鳥取での暮らしが辛い思い出になっていたのかな~と思ったのですが、ただ一度奥さんを伴って帰郷した折、私の記憶に間違いがなければ、ともに出掛けた鳥取砂丘でだったと思うのですが、彼は、鳥取がどれだけ素晴らしくて、自分にとって素敵なところだったかを嬉々として奥さんに話して聞かせた…というのです。

 それなら何故、彼はそれまで、そしてそのあとも、鳥取に帰郷してみようとしなかったのでしょうね。その時に感じたままほっぽってあった疑問を、テレビを見てまた思い出しました。