『光と風の間(はざま)で』総本家

総本家なんで、あれこれあります

悲しき雨音

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 この間、通りすがりに、ラジオからの耳慣れた曲を聞きました。その曲の最後にDJは、「この『悲しき雨音』は、雨をテーマにした曲の中で、世界中で一番聞かれている曲だそうです」と、伝えてました。確かに今のシーズン、一度は聞くなぁという気がしませんか? 雨といえば、この曲という発想になるんでしょうか。
 何年か前、仕事で京都に行っていた時のこと。突然の土砂降りにあい、わたしは、通りがかりのお寺に駆け混んだんですね。そのお寺では、お抹茶がいただけることを知っていたので、すぐに受付で頼みました。なにせ、コーヒーと日本茶が大好きな人間なんです(笑)。
 通されたのは、ご本尊の前とかではないお座敷で(当たり前か)、時期のせいか、雨のせいか、拝観をしているのはわたし1人だけのようでしたが、その近くで、ご住職と作業着の男性が、図面を広げ、何かの打ち合わせをしておられました。でも、それはそれ。「ああ、ほっとする~」とお茶をいただき終わったとき、業者さん退出。それを出口で見送った後、ご住職は私を振り向き、うるさくて申し訳なかったと告げられました。「いえ。大丈夫です」と答えるとにっこりとされ、出て行かれたのですが、廊下でしばらくたちどまり、もう一度私の方を振り向いて手招きされるのです。
 「?」状態のわたしが、立ち上がり、廊下に出ると、廊下の庭沿いの壁にしつらえられたすわり段を指差して、こういわれました。「雨はやみそうもないし、こんな中であちこちしてもしょうがない。ここに座って、雨の音を聞いてごらん。じっと雨の音を聞く…。一つの寺で、そうして時を過ごすのもいいものだよ」と(もちろん京都のことばで)。そして、にっこりほほ笑み、「ほな、ゆっくりしいや」と言い置いて遠ざかっていかれました。
 結構疑い深いくせに、単純でもあるという両極端な性格を持つ私は、ご住職のおっしゃるようにしてみることにしました。私が腰掛けると、ちょうど雨の音が直接聞こえる状態。私は、目を閉じて、雨の音を聞きました。雨にぬれた土の匂い。湿気を帯びた(当たり前だけど)、雨の匂い…。それが、目を開けているより感じられます。まるで、雨のベールに覆われたように、余計な音の聞こえない世界。これは結構感動物でした。ところが、その音が突然聞こえなくなったんです。そのままにしているうちに、「ああ。ご住職はこれを味あわせたかったのかな」と思いました。禅寺だけに…(笑)。感じ方はいろいろでしょうが、そのあととても穏やかな、優しい気持ちになれましたよ。
 降り続く雨の音を聞くと、このことを思い出します。