信じるということ

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 唐突ですが、実は父が闘病中なんです。一時はどうなることかと思いましたけど、主治医の先生が驚かれるほど、予想された副作用がほとんど出ず、さらなる治療もそう心配することはなさそうということで、一山越したところなんですね。 

 病院に頻繁に通うのには疲れましたが、いちばん心の負担だったのは(これは現在進行中かも)、父に近い人達…の「心配」でした。父の入院している病院が、家から少し遠い所にあるのが不満らしく、「これから寒くなるのに、その病院に通わせるのはどうかと思う」、とか、「これから動けなくなったら…」とか、「万が一何かがあった時に…」とかいうのです。これは、私にしたら???
 
 父はその道の専門医である主治医の先生を信頼し、その方針の下に良くなることを信じています。家族も、先生に聞きたいこと、言いたいことを言わせていただいた上で、そのお話に納得し、実際改善していくのを目の当たりにして、信頼を寄せています。さらに、その人達に看病をお願いしているわけでもないし、付き添いが必要なわけでもないんですから(なんていったって、本人は体調の変化も余りなく、暇をもてあましているのですよね…ーー;)。

 それが心に引っかかりながら、今回の『太王四神記』での事故の話を目にして、はたと気がついたことがあります。「心配」ってね、良い結果になることを「信じていない」ってことなんじゃないかしら、ってこと…。

 うちのことでいえば、本人も私たちも、父が100まで長生きしてどうのこうの…なんてことは考えてもいません。父にとって最良だと思える治療を受けて、普通の状態で毎日を送ることが、一日でも長く続くことを考えているんですね。「動けなくなったら…」とか、「万が一」なんてことは、考えにない。そういう意味では、「心配していない」んです。

 もちろん、そういう結果は、遠い将来のことではなく、ありえるかもしれません。でも、冷たいかもしれないけど、最大限の努力(?)をしてそれならしかたないとも思っています。何より、本人の選択なのですから…。今の病院に不満はないし、特に体調にも問題はないのに、本人の意志を無視して近い病院に換えさせ、毎日長い面会時間を過ごすことがベストなことなの? 私にはそうは思えないんですよね。

 本当にその人のことを考えるなら、その人を愛するなら、その人の望みに沿ってあげること。そして、最善の形になることを信じることなんじゃないかなぁ…。常識がどうのこうの、でも、過去の実例がどうのこうの、でもなくてね。その人が、そして、いちばん近い人達が信じないで、どんないい結果が出るというのでしょう。信じることで、ことは動くのだと思う。甘いかな~。

 そして、思うんです。四神よ、目覚めなさい! 今こそあなたたちの主人を守る時です! …なんてね…^^;。