つい最近読んだ本に、「自分に自信のない人は、とにかく何日か良いことだけを考え、そのように行動してみなさい。何が起こってくるか、自分の目で確かめればいい。そこに、どう生きたらいいかの答えが、どうやったら自信が持てるようになるかのヒントがある」というのがありました。
で、つい思ったんです。「やってやろうじゃないの」って…(単純…ーー;)。不愉快に出逢っても、「あ~。はいはい…」。そしてよきによきにと思考を転換させて数日。ちょっとおもしろいことがありました。おもしろい…というか、「ありがたい偶然」が起こり始めたんです。「ほんとだ。これは、おもしろい。この先に何があるのか確かめないと。続けてみよう」…と思った矢先。
たまたま目にした、「神になってしまった…」というタイトルの、海の向こうの記事。読まれた方もありますよね?(いい記事だったと思われた方もあったかもしれないですね。だとしたら、ごめんなさい。これから書くのは、私の個人的な感想なので、笑って許してくださいね)。読んでいくにつれて…、「ん?!」。
それまでにほめて書かれていたことは前振りで、この記者がこれを書いた最大の目的は、最後に書かれていた、神になった…と書かれた人に、もっと人のために尽くせ、もっと後輩(結局は、彼の後に続く、その人達にも利益のあるドル箱スターを)育てよ、と言うことだったんだ、と感じたからです。
以前書きましたが、友達の家に届いた教会のチラシにも書かれていたとおり、「その人」が人知れず慈善行為をしてきたことは、こちらの教会の方でさえ口コミでご存知のことのようです。
そして、彼が後輩を(ただし、人として、そしていい俳優となるべく)育てようとしていることは、それほど細かく情報を追いかけるわけではない私でも知ってること。
なのに、それをしてきていない、自分だけのことを考えている人のように、これからはそれをせよとは何事か! とぶち切れたんです。そして、こうすべき、あるべきということばが、ひどく不愉快に響きました。
彼とて、人の子。いいところばかりではないでしょう。人によっては、苦々しく思っている人もいるかもしれない。でも、良く調べもしないで(いや、知っていたのかもしれないですね。こちらに伝わってくるくらいだから…。だとしたら、もっとたちが悪い)、こういう書き方をするなんて…。
そこで、気がついたんです。あ~! ここ数日の努力が……(T.T)。
自分のことや、周りのことでは耐えられたのに。そして、案外ご本人は、たとえそうでも、「言わせときましょう」って、大して気にもせず飄々としているのかもしれないのにね。最初からやり直しです。やっちゃったよ…ーー;。