『光と風の間(はざま)で』総本家

総本家なんで、あれこれあります

滝口寺異聞

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 滝口寺を知っていますか? 京都の嵯峨野。祇王寺のすぐそばにあるのに、祇王寺のようにメジャーじゃないお寺です。もとは往生院三宝寺という名のお寺だったのですが、明治に再興された時に、滝口入道という人が修行した所であることから、滝口寺と呼ばれるようになりました。ただ、彼がいたことだけで、ではありません。彼の愛した、建礼門院の侍女横笛との悲恋が、その名前の由来になったらしいのですね。
 
 その滝口寺には、もう一組、歴史に名前を刻んだカップルの足跡があります。新田義貞という名前に覚えがないでしょうか。『太平記』に出てくる坂東武士です。このお寺には、彼の首塚と言われる物と、その妻匂当内侍(こうとうのないし)の、供養塔があるんですね。足利尊氏と戦った後醍醐天皇方の武将だった義貞は、戦に破れ首を打たれます。それを闇に乗じて持ち去り、この寺に持ち込んだのが、この匂当内侍だったのですね。

 この二人の出会いはこんな風でした。ある日、御所の警護をしていた義貞は、流れてきた琴の音に心を奪われます。その音に惹かれて近づいた彼の目に入ったのが、琴をひく匂当内侍の姿だったんですね。彼は、その一瞬で恋に落ちてしまいます。根がまじめで、不器用なタチですから(逢ったことがあるんかい…と自ら突っ込む)、寝ても冷めてもその面影が消えず、「おい。最近アイツおかしくないか?」と噂されるまでになってしまったんです。

 デキる武将のあまりに哀れな姿に、「仲立ちをするから、ラブレターを書いてみろよ」と勧める人が出てきます。和歌など書いたこともない彼は、必死の想いで歌を詠んだのですが、彼女はそれを受け取ることさえしませんでした。彼が嫌いだったわけではありません。実は、彼女は後醍醐天皇のおそば近くに使える女官だったのです。つまり、「単なる身の回りのお世話をする人」ではなかったので、他の人から文をもらえるわけはないのです。そういうことがわかってて、仲立ちするヤツもするヤツだと思うけど…(--#)。

 その話はとうとう後醍醐天皇の耳にも届き…、さてどうなったと思います? 天皇は、酒宴の席で義貞の武功を褒め称え、匂当内侍を妻とするようにと命じたんです。後醍醐天皇にとっては、大勢の中の一人。でも、義貞にとってはたった一人の女…。その人が、思わぬ形で自分の腕の中に転がり込んできたわけです。

 その後の二人がどうだったか、それはあなた、語るまでもありませんよね。最後の戦いに赴く前にも、彼は彼女としばらくの時を過ごしました。半ば帰ってこられないことを覚悟しつつ、「出掛けてくるから、ここで待っていなさい」と言い残していくまで。匂当内侍は、その言葉どおり、ひと月待ち続けます。ところが彼女のもとにもたれされたのは、義貞の首が河原にさらされているという知らせでした。
 
 その時代のことですから、彼女に相手を選ぶ選択肢はありません。でも、彼女のその後の行動を見れば、どれくらい義貞を思っていたかわかりますよね。悲嘆にくれながら、義貞の首をいとおしそうに何かに包み(そのまんまでは、幾ら夜でも持っていけないでしょうから)、しっかりと胸に抱くその姿を思うと心が痛みます(T.T)。

 世の中は、ゴールデンウィーク。もし、滝口寺のあたりに行かれることがあったら、あんなこと書いてたな~なんて思い出してもらえたら幸せです。多少脚色されている部分もあるかもしれないですけどね。なんてたって、と~んと昔のお話ですから…。