「うちの子の行ってるピアノ教室に、高校生の男の子が来るのよ。ピアノとかあんまり関係なさそうな、体育会系の子でね。それも、ジャニーズ系なのよ」
レッスン室から出てきて、目の前をす~っと通っていく、スカジャンの男の子に、彼女はびっくりしたのだそうです。
「じゃ、その子がピアノ習ってるの?」
「そう。2月のはじめにね、『大学決まって東京に行くから、ここを出て行くまでにショパンの『別れの曲』を弾けるようになりたいんです』って、来たんだって…」
「へぇ~。前の映画の『さびしんぼう』のビデオかなんか見たんじゃない?」
「そうかもしれないけど、それをいきなり弾きたいって言われても、先生も困るじゃない。でも、『何が何でもがんばりますから、お願いします』って、引かないんだって。で、『教えてあげげてもいいけど、保障はできないわよ』ってことで、来るようになったらしいのよ」
「で、どうなの? 間に合いそうなの?」
「先生は、『微妙です』って、おっしゃってた。筋も覚えもすごくいいンだって…。本人の必死さもあるしね…。『でも、いかんせん基礎がなくて、2月足らずで、ですからね』っておっしゃってた」
俄然その子に興味を持ちました。何ゆえ、その町を出て行くまでなのか。何ゆえ、『別れの曲』を弾きたいのか。「弾けた~。よかった~」とかいう、自己満足ではないはずです。「誰か」聞かせた人がいるはずなんです。
「ね~、ね~。仲良くなってわけを聞いてみてよ」
「アホか! 淫行でも迫ってくるのかと思われたら、どうするのよ!」
友達のご主人は転勤族で、結局は彼の上京を待たずに、一家でその町を離れてしまったのですが、最後に、「かなりうまくなってるらしいよ。先生びっくりしてらした」と聞いたのは、3月はじめの事でした。
この時期になると、そして、『別れの曲』を聴くと、ふっと彼のことを思い出します、顔も見たことのない子なんだけど…。今日もそうでした。『冬のソナタ』を見ていたせいもあったかな(笑)。彼は想いを果たして、旅立ったでしょうか。そして、今どうしているのでしょうか。