『光と風の間(はざま)で』総本家

総本家なんで、あれこれあります

VOICE

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午後近所まで買い物に出て、帰ってきたら丁度3時のお茶タイムでした。コーヒー入れて居間に陣取り、テレビのスイッチを入れたら、徳永英明さんの顔のアップがど~んと出て来ました。これまでのあれこれや、これからのことなどを話してらしたんだけど、その中で、自分の声が嫌だったという話をされたのが、ちょっとショックでした(「声がいいとばかり言われるので、シンガーソングライターとして傷ついていた」というニュアンスのお話もありましたが)。

 私は、かなり彼の声、好きです。毎日聞いてた時期があるくらい。その声は独特で、何より、私の感覚にあうものだったからです。彼の書く詞が,私にとっては重くなりすぎて、あまり聞かなくなったのは、いつの頃からだったでしょう。

 誰でも人には、思うようにならない現実と向かい合って、あせったり、怒ったり、いじけたり、不安になったりする時期があるでしょ? 想いもしない病気に見舞われて、途方に暮れるるときもあるかもしれないし、想像を超えた出来事と出逢って戸惑うときもある…。そんなときを越えたら、何が見えるんでしょうね。少なくとも今の彼には、それが見え始めてるようでした。これまでの好きだった歌たちとはまた違う、素敵な歌が聞けそうです。

 話は少し変わりますが、私は、基本的には相当に臆病です。ドがついてしまうほど。石橋を叩いて渡るといいますけど、一応叩いて、下に下りてみて、大丈夫がどうかあちこちチェックしてみて、もう一回叩いてみるくらいのことは平気でします。そのせいで、自分の直感に従えばつかめたはずの大きなチャンスを、これまでいくつもふいにしてきました(涙)。今、少しずつ、そういう自分を改造中なのですが、普通になるまでには、さてどれくらいかかりますか…(ため息)。

 そんな私が、何の理屈もなく信じてしまうもの。それが「声」なんです。ただし、歌声に限るんですけどね…。下の記事で書いた、一青さんもそうだし、Ryuさんもそうだし、まだ何人もいます。そんな人たちの歌声だけで、「この人は素敵な歌の歌える人」と決めてしまうんです。どんなにその人がスキャンダルなどで叩かれようと、関係ない。それが、外れたことはない、と勝手に思っています(笑)。

 何故そう思うのかは、説明できないんです。ただ、人の歌声には、その人の人間性が出るものだと信じて疑いません。うまいヘタではないんですね。どんなにうまくても、苦手な人はたくさんいます。どんなに売れていても、深追いしようとは思えない人も…。ただ、たぶん私の想いには、「自分にとって」という身勝手な修飾語がついてるんだと思いますけどね。

 実は。私のこれまでの人生の節目節目には、とことんはまるアーテイストが現れるのがお約束でした。某コンサート(笑)のDVDのお話など聞いても、聞いてみたい人がたくさんの今年、「この人の歌が好き」と思わせてくれる人が現れてくれるでしょうか。