(昨日の記事の続きです)
さて、ここまでは参道を一人で来たんだけど、手水舎のあたりまで来ると人影が見えました。最近では、朔日参りをする方が減ったそうですが、少しは来ておられるのかなと思ったら、どうも観光客の方のよう。
その方たちを見て、実はちょっと迷ったんだけど、多分大丈夫だろうと判断して、手水を遣って拝殿に進みます(マスクしたまま手水は口に付けずだし、あとスプレーするしで、何か失礼きわまりない?)。
倭文神社では拝殿に入ってお参りするんですね。その日は暑いくらいのお天気だったからか、一日だったからか、拝殿の横の扉(不勉強で、正式名はわかりません)が開かれているのを初めて見ました。
(今回拝殿の写真を撮ってなくて、これ数年前のです。ピントはあやしいし、えらくうっそうとしてるけど。今はもっとすっきりとしています)
タイミング良く一人になれたので、二礼二拍手して手を合わせ、住所と名前をちゃんと声を出して伝えました。そして、無事に過ごせているお礼を。すると、とんでもなく気持ちのいい柔らかな風が吹いてきたんです。いやもう。座り込んでずっといたいと思うような気持ちよさです。
境内には何人か参拝客がおられたものの、もうお参りされた後なのでしょうか。拝殿には誰も入って来られなかったので、実際しばらくそこでたたずんでいました。横の扉が開けられている分、開放感があったこともあったのかなぁ。ほんとうに気持ちよかった。印象深かったので、2度言いました(おいおい)。
あまりに長くいて賽銭泥棒を疑われても困るので、拝殿を出て拝殿・本殿の裏へ回ることにしました。どういうわけか、家族や友達と来たときには、拝殿に向かって左側から回っていたんだけど、ふっと思ったんですね。そういえば、出雲大社では右側からだなって…。
ここはどっちが正解なのかわからないけど、間違ったとしてもまさか祟られることもないだろうと、出雲大社に倣って右側から回ってみました。
大正解でした! 左側から進んだときに見える景色とは比べものにはならないくらい気持ちのいい景色が広がっていたんです。左から回るのと右側から回るのと、こんなにも受ける印象が違うのかとびっくり。森が、森が生きてる! 反対側から回るときは、ただ、ごつごつした木の根ばかりが目立つ、歩きにくい道だったはずなのに。いや。こんな景色だなんで、思いもしなかった気がします。
そうそう。さっきの風もついてきてくれました。…というか、山の下の方にある湖からの風が神社の方まであがってきているのかもしれません。帰って車を降りて、「ああ。今日は暑いくらいだ」と思ったんだけど、あの境内は、あの場所はほんとに柔らかに涼しかった。
>< (見にくいね)
元々気持ちのいい空気の場所だとは思っていたんだけど、そして、これまでいくつもの神社にお参りしてきたけれど、こんなに気持ちがよかったのは初めてのことです。
鳥居をくぐり、「おじゃましました」と一礼するまで、うまく言えないんだけど、「やさしいワクワク」が続いてくれました。朔日参りしたご褒美かなぁ。こんなことなら、近いうちにまた来ないとね(と言ってると、初詣になる?)。
最後に、ちょっと行ってみたいなと思われた方に。伯耆一の宮「倭文(しとり)神社」」へは、基本車。自家用車かレンタカー、最寄り駅のJR松崎駅からタクシーでというのが無難だと思います(車で10分弱くらいかな)。
「倭文神社」へ行く直接の公共交通機関はないので、車でないと、神社のある山の中腹まで4キロ数百メートル歩くことになります(松崎駅から歩いて行かれた方によると、徒歩で45分ほどで行き着くそうです)。
ターミナル駅である隣駅、JR倉吉駅からバスで15分ほどの「舎人入り口」で下りて歩く…という手もありますが、やはり道程で一番大変ないくつもの坂道を歩かなければならないのはおなじ。そういえば、学校行事で、湖の反対側から歩いてきただろう高校生達に会いましたが、大人だと、健脚な方でないとけっこうきついかと思います。
ただし、途中、シタテルヒメさまが出雲を偲んだという場所や、桜並木の坂道から眼下に周囲12キロメートルほどの湖を臨む風景などはとてもきれいなので、健脚な方なら、行きはタクシーで、帰りはがんばって歩く…という手もあるかと。お花見ができる時期は格別ですから。
(追記)
YouTubeを見られる方に。YouTubeで『しとりじんじゃ』で検索してみてもらうと、『パワースポット大人旅』というのに、私が説明しきれていない風景がでてきています。拝殿の裏の方には回られていないみたいですが、とてもきれいに撮ってらっしゃいます。ただ、普段あんなに樹があるように思ってなかったなぁ。何故だろう。