『光と風の間(はざま)で』総本家

総本家なんで、あれこれあります

わらちゃんのいる場所~そして、話はとっ散らかっていく~

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 あっついですね~。おまけに(もちろん首都圏や大都市ほどではなく微々たるものなんだけど)あのウイルスが私の徒歩圏内でも活躍し始めたようで、その両方がじみ~に(ある意味でははで~に)生活に響いてきています。

 コロナウイルスの影響で、今年のお盆はこれまでとは変わったものになりそうですね。「自分では自覚がなくても、すでに感染しているかもしれないし、故郷への帰路の途中でどこかでウイルスをもらって帰ってしまうかもしれないし…で、今年は帰らない方がいいかな」と、帰郷をあきらめたり迷ったりしている方たちの話は私も聞いています。

 新聞をほとんど読まない私が、新聞を一部読んだときに見た、「このあたりでも、(都会から)帰っても非難されたり白い目で見られたりする」とかいう話は、ごく近くにウイルスが歩み寄ってきている今もいっさい聞こえてはきませんが、飛ばしてますね、こちらの地元紙(テレビもか)。

 我が家も、親族含め初盆のお宅へのご挨拶や、お中元の発送などで(するかしないかも含めて)、やたらに手間取っていますが、ご親族やご家族が帰られるのを楽しみにしてらっしゃるみなさんには、さみしいお盆になるかもしれませんね。さみしい想いをされた分、別のことでいいことがありますように。
 
 さて、前回書いた、わらちゃんがいるといわれる楠の木の話の続きです。

 その大楠の木は、京都の「若一神社」の鳥居の前にあるといいます。800年ほど前、その楠のある場所を含めたところにあったのは、平清盛さんの別邸・西八条殿。熊野詣でに出かけた清盛さんが、「(そこに)埋まっている「若一王子」の像を掘りだ出して祀るように」というご信託を受け、帰って(あっちこっち掘りまくって?)見つけられたようです。

 上の話を読んで、「はて、若一王子とはなんぞや?」と思った方、ありません? ご存じの方もあるでしょうが、私には???だったので、Wikipediaに頼りました。

 端折っていうと、「若一王子(にゃくいちおうじ)は、神仏習合の神である。若王子ともいう」と書かれています(もっと詳しく知りたい方は。Wikipediaを開いてみてください)。それを読んで、「ああ。そう言えば、京都に「若王子神社」ってのもあるなぁ」と思い出しました。その神社も、「若一王子」をお祀りしてあるってことですよね。

 実際にその像があったことで、思うことがあったのでしょう。清盛さんは場所をもうけ、その像を安置します。そして、それから一年ほどで、武士としてはじめての太政大臣に任命されたということから、「若一神社」は出世開運に御利益のある神社として知られていったのだそうな。

 ふっと思いました。その像は何でそこに埋まっていたんだろう。誰がそこに持ってきたんだろうって…。だって、自然発生的に発現したわけもなかろうし…と思い、ちょっと探してみるとありました。

 そこからさかのぼること400年ほど前に、「唐から渡来し、天王寺に居住した威光上人」と言う方が、やはり熊野詣でのおりに、「迷い苦しむ人々を救わんとご分霊していただいた」若一王子のご神体とここの森の中の古堂で一晩を過ごし(森だったんですね、ここ)、「ご神意にしたがって堂内に安置した」のだそうな。それから、なんだかんだの諍いや災害があったりして、地中に埋まることになってしまった…ということのよう。

 なるほど、その威光上人という方がその像を、ここにあった森のお堂に安置されたのね…とわかったものの、その威光上人ってどういう方だっだろうとさらにネットで調べてみても、くわしい経歴などは見つかりませんでした。

 見つけたのは、舞鶴の松尾寺というお寺の沿革にあった、和銅元年(708年)、唐からこられた威光上人が草案を結ばれたのがそのお寺の始まり…というような記述だけ。

 それなりに近い時期に、「唐からこられた威光上人」という方が何人もいらっしゃるとは思えないから、多分この方のことなんでしょうね。で、その像を安置された頃は天王寺にいらしたということかな。

 それにしても、この上人様。若一王子の像を安置されたという宝亀3年(772年)は、舞鶴にに草庵を結ばれたとされている時からすると、64年後のことです。おいくつの時だったんだろう。庶民が30年くらいの寿命しか持たないころに、何歳まで生きられたのかしら。

 まっ、それはこれ以上は追求しないことにしましょう。清盛さんの一件とは関係直接ないことだし…(「そんなこと、最初からわかってただろうが!」…という声が、遠くから聞こえるような気がする…)。

 そんなこんなで、例によってさらなる寄り道をしながら、話は進んでいくのでした。