年末に亡き人の想いをふと考える

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siwsunoyukei



 今週に入って、年賀状を少しずつ書いています。とは言っても、気にいったデザインを印刷して一言添える…という程度のことなんですけど、治りかけの右腕のけがが影響して、普段ならそう気にもしない机の高さがとても気になり、何枚も書き続けられないんですね。字が安定しない(PCが、プリンタが、発達していて良かった)。それでも、書くのに時間をかける分、一枚一枚に向かい合う時間が取れるのは悪く無いななんて思いながらやっています。

 それにしても、今年は例年より喪中はがきが多い気がします。そういう世代の方の年賀状が多いということでもあるんでしょうが、さらに、文面は少し違うものの、「勝手ながら、〇〇歳を機に年賀状でのお付き合いをやめさせていただくことにしました。お電話や遊びに来ていただくのは大歓迎なので、近くにお出での際はぜひお寄りください。お待ちしています」なんてご自分からのお知らせもありました。

 年齢が高くなり、さらにあれこれのしんどさを抱えていると、それも一つの選択だなぁだと思えます。特に、腕に触れかけては「ああ。だめだめ」とつぶやく今年の私には身に染みて…。

 もちろん、お元気な100歳さんもたくさんいらっしゃる時代だけど、年齢が高くなったら、会いたい人には早く会いにに行かないとだめですね。喪中はがきをいただいてからでは遅いですから。もうお話もできない。岐阜にいる長男宅の近くに身を寄せた母の長姉のところに、来年こそは母を連れて言ってあげなければと、思いを新たにしました。

 そんなことを思っていたさなかに、合間にちょっとだけ読んだ本に思いがけないことが書いてあって、はっとしたんです。それは、亡くなった人が電話をかけてくることがある…というものです。実は、私の父が亡くなったあと、49日までの間だったと思うんだけど、一度だけ私の携帯電話(そのときは)に、「公衆電話」から電話がかかって来たことがあったんですね。

 普段はそういうのには出ないようにしてるんだけど、何でだかふっと出てしまったんです。川の流れるような音ばかりが聞こえて、相手は何も言いません。「もしもし。どなたですか?」と何度も尋ねたんですけどね。

 気持ち悪いなと一瞬は思ったんだけど、すぐに、病院に行ってからずっと(病院の)公衆電話から電話をかけて来ていた父だと思いました。理由はありません。ただそう思ったんです。だから、しつこく話しかけたんですよね(その公衆電話からの受信、今はもう使っていない携帯電話ごと保存しています)。

 結局、「私が頼りないから、心配して一言言ってやろうと思ってかけてきたのかなぁ。かけてきたなら、何とか言えばいいのに。そこまで頼るな。考えろってか」なんてふてくされて思ったりしたんだけど、その本には、「亡き人からの電話では、相手は何も言わないものだ」と書かれてたんです(そういうことを中心に書かれた内容の本では無かったんだけど)。そんな言葉たちに、「ああ」やっぱり父だったんだ」と、改めて思ってちょっとウルっ。なかなかに「俺様」な父だったんだけどね。それだけ時間がたったということなのかもしれません。

 ところで、その本の中には、更にこんな話が書かれていたんですよね。ツイッターに、亡くなった友達のアカウントからの「いいね!」が時々入るんだって(もちろん、誰も使っていないのに)。これはもう、怖いよ~。怖すぎるよ~。