『光と風の間(はざま)で』総本家

総本家なんで、あれこれあります

おかしな安心

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雲が消えていく




 少しづつ、ほんとにちょっとずつだけど、最初の時期の記事から見直しています。おもしろいものですね~。自分の記事なのに、色々違和感があるんです。たとえば、言葉の区切りの位置が今と違う…とか。

 今だったらここでは区切らない(「、」を打たない)と思うところで区切っているところがいくつもある。私は頭で考えるより自分の言葉のリズムがいいと思えるところで区切っていますから、自分では気づかなくても言葉のリズムが変わってきているということなのかなぁ。まだまだ過去をたどる旅は続きます。


 ところで―。思いがけないところで、ありがたい言葉に触れました。

 この前あった某アイドルさんの結婚話で、ファンクラブの会員向けの直筆とされている文章がネット上に流れてしまっていて、それがおかしい…という話がつぶやかれていたんです。

 文章の中の「ノギへん」の書き方が違うものがあるとか、彼が使わない文字の書き方がある…とか。つまり、本当に彼が書いたものなのか…というんですね。

 その中で、「えっ? そうなの?!」と思うものがありました。それは、文章中3回出てくる彼の名前が、寸分たがわずぴったりと重なることについての疑問がつぶやかれていたものでした。

 このことはつぶやかれていただけでなくネットの記事にもなっていて、筆跡鑑定の専門家の方曰く、「同じ人物が書いたとしても、寸分たがわず同じ文字を書くことは人間にはできない」というんですね(大体こういうような意味)。つまり、「これ(名前の部分)は自筆ではなく、コピペですね」ということ…。

 この話に私が「そうなの?」と思ったのは、自分の劣等感があったからです。実は、何枚も何枚も続けて書類を書かなければならない時、名前を書く文字がそれぞれちょっとずつ違っていってしまうものだから、「私は、自分の名前さえおんなじに書けないダメなやつなんだ」と、いつも勝手に後ろめたいような、残念な気持ちになっていたんですね。

 ところが、筆跡鑑定の専門家に、「寸分たがわない文字を書くことなど、たとえ(書き慣れているはずの)自分の名前でもできるわけがない」と言ってもらえたのですから、喜びにあふれた「そうなの?!」が飛び出したというわけなんです。

 文字のきれいさはともかく、同じに書けるわけがないなら、ちょっとした文字の違いなど気にする必要はないということですよね。あ~。ありがたや~(ナムナム)。つぶやいていた彼のファンの方たちからは、「いやいや。問題はそこじゃないから」と言われそうだけど。

 文字を見る専門家でもファンでもない私は、さらに元々の彼の文字を知らないですから、そのあたりはまったくわかりません。ただ文章においては、それなりに思い量るものはありました。それについては触れないでいようと思います。