あれこれであまり時間が取れず、残りの20ピースほどを残して明日かなと思ったのだけど、やっぱり諦めきれずやっちゃいました。
完成です‼️
👏👏👏 🎉
1000ピース。途中、完成は無理かも…とか、(何回もひっくり返してるから)ピースがいくつかないかも…とか、ネガティブな感情に何度も振り回されたけれど、今何度さわってみても、ちゃんと全部埋まってるよ、ピース😭
長かった…。でも、いろんなことを感じさせてもらったなぁ。ムーミン。スナフキン。ありがとね。
出来上がりはホントにきれいです。
あと30ピース弱に。
ここにいたってもまだ、(今度は)思い込みと「スポッとな」を教えられています。
間違いって指先でわかるのね。見なくても、嵌まるものは「そこ」に嵌まる。それも、いとも簡単に。
ジグソーパズル、恐るべし。
ジグソーパズルをやっている。
通算だと、ほったらかし期間(何回かあったけど、合わせて半年くらい)を含め、何と1年以上になる。
こんなにかかっているのは、やたらグリーンの色あいが多くてややこしいからか、1000ピースがわたしの手に余ったからか。いやいや。単にどんくさいから…なのかもしれない。
そのジグソーパズルは何と、一部だけ、全部を合わせて、5回くらいひっくり返している。そのなかには、完成間近だった時もあった(涙)。
何せ大きさがあるのでそのまま広げておくわけにはいかず、邪魔にならない場所に運んでいるときに、バランスを崩して何度もやらかした…というわけ。
色々やらかした挙げ句に、今時泊まりのお客様などないんだから、客間の座卓の上に置いたままにしておいて、そこでやればいいんだと気がついたのはこの夏のこと(遅っ!)。
それからは途切れ途切れにだけど真面目(?)に、さらなる一部崩し事件(事件か?)などありつつも、今数えてみたら、残りのピースは100枚を切っていた。
祝いじゃ祝いじゃ〜♪(まだ早い。またやらかすかもしれん)。
ジグソーパズルの、「その場所」に合うピースはひとつしかない。これかなと取り上げたピースが、「そこ」にいとも簡単に、ぴったりと嵌まるときに感じる嬉しさは、全体が完成したときに感じる嬉しさとはまた違う。何と言えばいいんだろう。スッキリする「瞬間の喜び(刹那の…というほどでもない)」と言えるような嬉しさが。
別の瞬間の喜びもある。それは、腑に落ちない瞬間の喜び。
それは、やってる間にいつからか作ってしまった、「このあたりに『その場所』があるはず」という、ピースの色や模様からくる思い込みでさんざん探しまくったのに見つからず、全然別のところにヤケクソで置いてみたら、それが見事に「その場所」だった…とかいう場合。
これには、思ったような所で見つけたのとは違う、「ここかぁ(呆然)」という、意外な喜びが加わる。
探しても見つからないこともある「その場所」にピースが収まる瞬間って、時にあまりに簡単で、「その場所」は、予想外なところにある場合もあるって、面白いね。
これは、人が生きる道についても多分同じだよねと、パズルをしながら思う。
だったら、どんな風に生きればいい? どうやったら、「その場所」にすっきり収まる?
「そんなよけいなことを考えるより…。人生は短い。さっさと仕上げて、別のこと楽しみなよ」と、目の前のスナフキンに言われた気がした。
何だか、日々の中でやることやブログの書き方で迷うことが多く、ついでにやたらに眠い日が続いたりして、また長い留守をしてしまいました。ごめんね。家主のいないブログにもうあきれられて、誰も見に来てくれなかったりして、🙇♀️💦💦
まっ、それはそれとして、近況の、ど〜ってことない話で、一席うかがいます(落語か?)。
さて、いきなりですが、ずっとウォークマン用に使っていたコードタイプのイヤホンの音が、この頃なんかおかしくなってきてたんです。で、ポイントでいただいたコードレスのを使っていたんだけど、回りにあるいろんな障害物でなのか、やたらに切れる上に、実は音が気に入ってなかったんですね。
特に音に対して、こうでなきゃとかいう立派な理屈があるわけじゃなくて、単に自分の好みの問題なんですけどね。
実は、新しいのを探さなきゃなと思っていた頃、こんな記事を読んだんですね。
コードレスのイヤホンを使うことで、たとえば、認知症様の症状が出るなどの脳への影響がある場合がある…とかいう学説が出ている。
その真偽の問題はあるとしても、切れるのに嫌気がさしていたわけで、そんな学説があるのなら、無理にコードレスにこだわる必要もないなと思い、コードタイプを探すことにしました。
さてどこのにしましょうか…と思ったとき、ふっとひらめいたのは、子供の頃からウォークマンの音より好きだったKENWOODのこと。「あそこの音好きだったな。そこのを探してみるか」。KENWOOD。今は、JVC(日本ビクター)ですね。
さて、そう決めたはいいけど、性能もお値段もピンきりです。実際に聴いてみて気に入るかどうかもわからない。
とりあえず、「何かこれいいかも!」と思ったのを選んで、それを試してみようと決めました。で、選んだのが、↑の。
JVC のカナル型イヤホンというののひとつ(JVC HA-FX26-Gというやつ)。
何でこれにしたか。試してみるのに問題のない安価…だったこともあるけど、「これキレイ!」的なノリでした。音がどうとか言っといてね(この写真ではわからないけど、とてもキレイな緑。レモンイエローに近いかな)
聴いてみたら、あなた。「いいじゃない、これ〜!」
前に使ってた、元々の付属のから替えたコードタイプのイヤホンより、はるかに好き! 前のより安いのにね(おいおい)。
わたしが主に聞くボーカルものでいえば、息づかいさえ伝わってくるし、やたら重低音を強調してくるのより、はるかにバランスがいい(わたしが語れるのは、この程度の理屈ですよ。だって好きなんだもん!が、ほんとの理由)。
千いくら(円台)でこれなら、もっとお高いのならどうなる…とかいう期待も膨らみますが、今はいい。
聴くものの偏りはありつつも、やっぱり音楽からは離れなれないな。しばらくこれで楽しもうと思います。秋の訪れとともに、元気が出てきました。
暑中お見舞い申し上げます。
書きたいことがありつつも、なんだかんだで後回しになってました。ごめんなさい。
友達からこんな写真が届きました。ああ、いいなぁって思わず深呼吸…。
送られて本人了解のもと、暑中見舞いのご挨拶にかえて。さて、また書き出しますよ〜!
兄をもたないわたしが、兄のように慕っていた従兄が、急に亡くなった。家族と話していて、突然意識を失っての事だそうだ。
実は、これまで形跡もなかったガンが突然見つかり、差し迫った状態ではないということで通いで抗がん剤治療をしていると聞いたのはつい先日。彼の母である叔母が亡くなったときだった(つまり母の実家では、あれよあれよという間に、元気だったはずの2人の葬儀を出すことになった)。
某有名製造メーカーで働きながらもそれに飽きたらず、自分に足りない知識を得るために勉強に勉強を重ね、人脈を作りながら起業して成功した人らしく、西洋医学だけに頼らず、高額な漢方薬を飲みながら、さらに有効な療法を探していると言っていた。
わたしには、今だからこそ(?)話題になっている「ドリンク」に心当たりがあり、その事について調べてみてほしいと話した(実は、それを彼がかけらも知らなかったことが、私には不思議だったんだけど)。
へたすると親子ほども歳の違う、知識も人生経験も雲泥の差の彼だ。十分大人になった今も子供だと思われているわたしがあれこれ言うより、自分で調べて選択して欲しかったのだ。
案の定、「あのhikariがこんなことを教えてくれて、色々調べてみてこれならと思い、始めてみることにしたよ」と、知り合いに嬉しそうに話していた矢先だったらしい。
ガンの発症の前にあったことを思うと、さらに言えること、できることもあった。この事をもっと早く知っていればと残念な想いはあるけれど、それはもうしかたない。本当の事はわからない。何より、彼はもう「いない」のだから。
わたしが、子供の頃から洋楽にたくさん触れていたのも、幅広い音楽に偏見がないのも、趣味でベースをやっていた彼(&その妹)の影響だった。
わたしに必要だろうと、たくさんの話をしてくれたのも彼だった。何年も会わなくても話さなくても、その彼が元気で、らしく活動しているというのが頑張る力になってもいた。「変わったやつ」なわたしにとって、従兄弟(従姉妹)のなかで、いちばん話が合った人。その人はもういない。
ふっと、遠い昔「俺のお古だけど、お前に役に立つ本だから読め」と、突然送られてきた本のことを思い出した。何冊かあったのだけれど、その中で特に気に入って、何回も読んだ本。
ところが、どういうわけか探してみても、その本がない。少し茶色くなってきていた本がない。大事に置いてたはずなのに。置いていたはずの場所どころか、本棚のどこにも…ない。
しかたなく、別の買い物と一緒に通信販売で注文した。それを開かずとも、従兄の物でなくても、そこにあることが力になる。そんな気がして。
色々力をくれたのに、 わたしはまだ道の途中にいるよ。あきらめちゃいないけど、悪いね、亀で。でも何か、今度の事がいちばん力になった気がするの。いなくなったのに、こう言うのはおかしいけどね。
やれることを、楽しむよ。やりきるよ。回りを気にしないでね。今なら、できる気がする。
幾重にも、幾重にも、幾重にもありがとね。あなたを尊敬してました。女性関係以外は…。
時間によって
光と陰が行き来する庭
抜けていく風の先にあったもみじの
先にだけ光が差してた
さらさらと 風
ふんわりと 光
わたしは
その光ほど
あなたを照らせてるだろうか