『光と風の間(はざま)で』総本家

総本家なんで、あれこれあります

良いお年を!

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今年もあと2時間を切りましたね。…って、実感がないなぁ、今年はまるで。

自分だけではどうしようもないようなことが起こりすぎ、嫌なことでの、びっくりするようなことを知りすぎて、何かここまでで精神的に疲れてしまった感じです。

経験から言うと、こういう感じのときは、「えっ!」と自分でびっくりするようないいことは起こりません。もっとお気楽で、何でだか根拠のない自信があるようなときには、そういうことが起こるような気がしています。

その辺、自分でそのようにもっていければ面白い展開があるのでしょうが、期せずしてそういう瞬間があるという程度のヤツには、なかなかに難しいことです。

今年のわたしにできたのは、これまで中途半端だった事々を、一つ一つクリアしていくこと。

「そんなことかい話」だけど、生まれてはじめて日記を1年間書き通したこともその一つ(そう。とうとう完走〜‼️)。それだけでも自分を誉めてやりたい😭

そして、 もうひとつ、知ってから毎日できたこと。それは、重曹クエン酸ドリンクを飲むことです。

これにだいぶ支えてもらった感じがしています(体調的に)。体調は良くなったし、疲れにくくなったし、食欲はあるのに体重は減ってきている(締まった感じがする)し、私が最初にこのドリンクのことを知ったときに読んだことですが、ガンになりにくくなったり(末期から復活された方もあったり)、いろんな病気に効く万能薬のようなんだそうな(気になるかたは、自分で検索してみられると、色々わかると思います)。

体内を、病気になりにい弱アルカリ性に整えてくれるということが大きいのでしょうか。

やり方は簡単。水道水ではなく、ミネラルウォーターのようなものに、クエン酸と重曹を加え、撹拌してぐっと飲むだけ(カルシウムを補給する必要があるという話も)。

ちなみに、クエン酸は飲み過ぎても余分は体外に排泄されるし、重曹は塩分があるので、1日5gまでの制限を守って飲めば特に問題はないそうな。

わたしは水200mlに、クエン酸、重曹をそれぞれ小さじ半分を朝晩2回飲んでいます。

何より、ここ数年毎年のように悩まされてきた気管支炎の症状が、だんだん軽くなってきているのが嬉しい。

人それぞれ合う量や、それ自体が合う合わないがあるかもしれませんが、気になる症状があって、重曹クエン酸ドリンクの効能を調べてみて気に入れば、一度試してみられるのもいいかもしれません。あっ、問題があるとすれば、トイレの回数が増えるかも…ということですかね。ずっとではないですが。


みんなそれぞれ元気で、制限なしにやりたいことがおもいっきりできる。そんな日が一刻でも早く訪れる来年でありますようにと願う大晦日。

今年1年、この何でもありブログを訪ねてくださり、ありがとうございました。来年もよろしくお願いします。

そして、良いお年を!

聖夜の贈り物

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中古の本を注文しました。頭に一応にいれておきたい内容なんだけど、何度も読むかどうかわからない。こういう時は、中古本はありがたい。

その本が届きました。かなり離れたところから届いたその本には、明細書の裏(ある意味では表か?)に、季節のコラムと、その内容に沿ったオススメの本が紹介されています。

それが何か素敵なの! ふんわりとやさしい。オススメの本も、ふだん手に取る著者の本ではなので、新しい世界を紹介してもらったという感じで嬉しかったんですね。

某通販サイトでその本たちを検索してみたら、「読んでみたいけどちょっとお高いな」とか、「ん〜。あんまり好きではないかも」という感じではあったんだけど。

ところが、その検索内容のついでに紹介されている本を、心のレーダーが、ピコン!とキャッチ。 即座にポチッ。

何か、ふだん出会わないだろう著者のその本との縁を、そのチラシに繋いでもらった気がしました。それなら、その本屋さんで買えという話ですが、つい、人差し指が…(^_^;)

小さなクリスマスグッズの他には、お付き合いで注文したケーキくらいしか変わったことのないクリスマスイブにいただいたプレゼントです。




画像はそのチラシと、何故か、やっぱり今日知り合いから届いた、京都の阿闍梨餅…の箱。

延着の理由

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遠方に出かけるときのためにJRのアプリを入れている。

去年から今年、そのアプリを通して延着のお知らせがとてもよく入ってきていた。

例年ならよく行く、京阪神(特に神戸線あたり)でも、地元でも。

ただその理由は、同じじゃない。

京阪神の場合:お客様と接触、あるいは立ち往生
地元の場合:動物と接触

そんな話をタクシーでした。運転手さんは、「聞きました」。

「女の人が多いらしいよ。生活苦…。独り暮らしなのかなぁ。将来を悲観して…らしいですよ」と、京阪神の話に触れた。

真偽はわからない。でも、来年はそんな延着が、「そう言えばないなぁ」と、のんびり思いだせるくらいの年でありますようにと思ってしまう。


画像は、内容には関係なく、私がお帰り(?)を待ちかねている野良猫君。

来年も猫年?

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少し前にも書いたけど、去年今年の騒動の中でのいちばんのわたしの変化は、まったくと言っていいほど地上波のテレビ番組を見なくなって、テレビ画面でYouTubeをよく見るようになったこと。

いちばん影響を受けてるのは猫動画。彼らの行動やおかれた環境のことなどを知り、お世話をされる方たちの考え方を知るうちに、野良君たちの健気な姿が、とてもいとおしくなっていったんです。

野良君は、たとえ「元」でも、家生まれ家育ちの子とは纏う空気がちがいますよね。ひどい寒さも暑さもなかなか得られない食べ物も、縄張りを争う喧嘩の緊張さえも、克服しなくてよくなったあとでさえも(目付きや態度は明らかに柔らかに変わるようだけど)。

必死に1人で生きてきたってのは、ちゃんとわかるもんなんだね…と思いつつ、自分はどうかとしばし自己反省\(_ _)

それにしても、20年近く生きることも珍しくなくなったと言われる家猫君たち。対して、よく生きて5年とも言われる野良君たち。その時間の差は歴然。何も被害がなくても、野良君たちを忌み嫌う人もいるしね。みんな同じように生きてるだけなのに。

他にも思うことはありつつも、現れなくなったご贔屓猫に想いを馳せ(けんたろさ〜ん( ノД`)…)、急にできた飼い主に、戸惑いながらも甘えるようになった他の元野良君の姿に癒されながら、今日もまた夜が過ぎていくのでした。

冬の花

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今年はえらく寒くなるのが早い気が気がします。そのせいか、体調不良というより、やたらに眠くて困ってます。そういうときは、寝た方がいいというんだけど、やっぱりちゃんと夜中に寝るほうがいいんだろうな。

そんな風でも、ちょっと歩いてみると、山茶花(さざんか)など冬の花が咲き始めてるのがわかります。何なんだろうね。自然の中で咲く花たちが、こんなにもいとおしいのは。

そんな想いのまま、今日は早く寝ることにします。おやすみなさい。いい夢をー。




※画像は、出先で見た柊(ひいらぎ)の花。こんな花が咲くんだね。初めて見ました。

三礼三拍手一礼

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  今日偶然、Youtubeで京都の貴船神社からのライブ配信を見ました。その方がお参りされているちょうどその時に、宮司さん(という呼び方でいいのかな)の祝詞が急に始まり(その時を狙ってではないらしいのですが)、現地にいっても出合えるかどうかわからない「その瞬間」に立ちあうことができてちょっとうれしい気がしました。

 ただ、その時に思ったことがありました。…というか、少し前に聞いたことを思い出して、ハッとしたんです。それは、「三礼三拍手一礼」。その配信者さんが、その三礼三拍手一礼でお参りされていたんですよね。

 私たちは、一部の神社は別として、主に二礼二拍手一礼でお参りしますよね。それが当たり前のことだと、私たちの祖先からずっとそうやってきたのだと。そう思っていた。

 ところが、どうもそうではないらしいんです。実は、当たり前のように言われている二礼二拍手一礼となったのは、明治以降のことで(それも政府の方針で)、それまでは三礼三拍手一礼だったというんですね。これが、日本古来の参拝方法だったそうな。

 ちょっと検索してみると、三礼三拝というのは、造化三神と呼ばれる、アメノミナカヌシと、タカムスビノカミ、カミムスビノカミの三柱の神へのものだと書かれています。なるほど。だったら、二礼の場合は???

  
 三神についてちょっとだけ調べてみたもののなかに、こんなことが書いてありました。

『三拍手で神界を開く。二拍手では閉じる』。

だとしたら、これまでは神界への扉を閉じてお参りしていたということ? 何で?
 

 

1日2回? 1日3回?

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あれこれおいしいものがあるこの頃ですが、「人は1日3回食事をする必要はない。たとえば江戸時代までは1日2回だったんだから」。こんな話を聞いたことがありませんか?

それを聞いて単純に、そういうものですかと思ってしまっていたのですが、最近この話とは違う話を読んだんです。

江戸時代すべてが1日に2回の食事だったというのは間違い。2回だった時期はあるが、それは人々が日の出と共に起き出して、日が暮れると寝ていたから。

日の出とともに起きて、ご飯を作って食べ、午後は午後3〜4時に食事して、日没とともに寝るという生活をしていたのが、時が進んで、菜種油の精製が進み、行灯が普及するようになると、日の入りの後も、薄暗い明かりのもとでの、本を読んだり、夜なべをしたりとかいう、夜の生活が加わるようになり、1日3回の食事になっていくようになる。

つまり、活動時間が長くなるわけで、当然お腹もすくから、段々3回の食事に変わっていったんだというんですね。

ありえるな。そう思いました。考えてみれば、わたしを含め、後生の人が、今の便利な生活や自分の得た知識だけで、昔はこうだと決めつけて、それがよしとするのは無理がある。

たとえ高名な先生の説でも、有名なインフルエンサーでも、 誰かの昔はこうだった説は、それもあるか…くらいでちょうどいいのかもしれない。そう思った出来事でした。




※画像は未だに帰らない(?)、わたしのYouTubeのアイドル、健太郎。逢いたいな。